進学校で落ちこぼれた末路を歩む先輩からの言葉。
進学校の落ちこぼれって、一体どんな悲惨な末路を辿るんだろう…?
きっと今これを見ているアナタは、
進学校に無事入れたけど、現在落ちこぼれていて辛い、将来が不安、悲惨な末路になるのではないか
進学校を卒業したけど全然第一志望とは違う大学に入ってしまい、難関校に行った奴らと比べて劣等感を感じる
進学校で落ちこぼれたけど大学、社会人の間に人生逆転して這い上がりたい
という思いを持たれていることと思います。
そんな進学校で落ちこぼれたことで心にあまり人に見られたくないキズを負ってしまい、今なお疼くキズを抱え、
もがきながらも必死で勉強や仕事に打ち込んで人生を生きているあなたに、
今日は同じく進学校で落ちこぼれ、15年以上の歳月を経て彼らに追いつき
追い抜いて現在年商10億を超えるベンチャー企業のNo.2を務めるダンから、魂のメッセージを送ります。
これを読んで自分の心に巣食っている悶々とした気持ちや、進学校で落ちこぼれて負け組になってしまったと思ってしまうメンタルに少しでも良い薬になれば幸いです。
それではどうぞ。
進学校で落ちこぼれた末路について
まずは、「進学校で落ちこぼれてしまった」「悲惨な末路しかない」と考えるアナタへ。
何を以て「進学校で落ちこぼれた」とする?
進学校で落ちこぼれたあなただから、きっとこう思っていることでしょう。
周りは凄い奴ばかりで、東大、京大、旧帝大、早稲田、慶応、国公立大学にどんどん合格していった。
それに引き換え、俺はなんて出来ないヤツなんだろう…惨めだ…
わかります。とってもよくわかります。周りの人、優秀だもんね。
フルパワーで勉強しても飄々としてる彼らに惨敗し心ボッキボキに折られた経験、ダンもあります。
仲の良かった友人はとりだてて受験勉強らしい勉強はせずストレートで自治医大に行きました笑
テスト前日に、「ダン君、今からクワガタ捕まえに行こうよ!」と無邪気に誘ってきた
彼の混じりっけ無しの笑顔を、僕は20年経過した今も忘れません(笑)
でも、ちょっと待ってください。
「進学校で落ちこぼれた」って考えてると思いますけど、では具体的に
何を以て落ちこぼれた、落ちこぼれてないを判断するんでしょうか?
成績?偏差値?郊外模試の結果?
仮に成績だとしましょうか。
学年300人いて、アナタの学年順位が270番だったとします。下位10%ですね。クソ雑魚過ぎて笑っちまいますね。
では学年269番の人って、アナタの定義する「進学校の落ちこぼれ」に該当するんでしょうか?
じゃあ学年268番は?
ほぼ真ん中の学年151番は?ど真ん中の150番は?
151番と150番の間に「落ちこぼれ」のモノサシを当ててみて下さい。どれほどの差があるか可視化出来ますか?またその差を納得出来る理由で説明出来ますか?
学年101番は?100番は?
学年51番は?50番は?
きっとここで何となく気づきましたね。
ハイ、進学校で落ちこぼれたかどうかなんてモノの見方で何ともでもなるんです。
勉強はダメだけど、思い切り部活動に取り組めてる人は「落ちこぼれ」と言い切れるのか?
部活動に目一杯打ち込んで、大会で入賞も果たすくらい優秀な成績。その分勉強が疎かになり成績は低迷。
アナタに質問です。そんな彼、彼女は「進学校の落ちこぼれ」に該当しますか?
少なくとも私は、彼らを「落ちこぼれ」とは定義しません。
多感な時期に一つのことに打ち込めるという素晴らしい体験をしているからです。
そのトレードオフとして成績が伴わなくて、結果周囲が進学するような大学には成績が足りなくて行けなかったとしても、
彼・彼女は3年間勉強しかしなかった人よりは、確実に人間として大切なものを多く学んだと思います。
もしアナタも落ちこぼれた理由が、勉強以外に打ち込める何かが見つかったことが原因なのだとしたら
それは決して落ちこぼれなんかではありません。
勉強に関しては「勉強より大切なものがあったから芳しくなかった」で片付けられるでしょう。
言い訳すんなって怒られそうだけど、それでいいんですよ。
だって事実なんだもの。同じ時間を勉強以外にアツくなれるモノに目一杯つぎ込んで精一杯生きたんだもの。
そんな凄い連中と同じ学校、同じ教室、同じ空間にいる自分をまず認めて称えるべき
結果的に勉強においては差がついてしまったとは言え
あなたはそんな賢い彼らと同じ空間に3年間在籍し、共に勉強してきたのではあーりませんか?
期末テストで450点近く、いやそれ以上中学校の時に叩き出してきたよね。
彼らとあなたに大きな能力差って存在し、今も存在しているんでしょうか。
私は自分の当時を振り返っても決してそうは思いません。
百歩譲って仮に差があったとしても
「成果を出す為のやり方に対する理解度の差」
「成果を上げる為に実行した学習量(努力)の差」
ぐらいのものでしょう。
要するにその当時の
勉強に対するやる気
容量の良さ
費やした時間(努力)
という3点に於いて周囲の方が優れていたというだけの話で、
そこにほんの少しの賢さが加わった程度だったんじゃないでしょうか。
そもそも同じ人間なのにそんなに才能偏らせるような不平等なことを神様ってするんでしょうか?
神様は、能力の偏りはあれど全部足すと100になるように平等に人間を作ってると私は思ってます。
時々バケモンみたいな人いますけど、それはまぁ例外と言うことで(笑)
ではちょっと切り口を変えて、進学校で落ちこぼれたと思い込んでるアナタに聞いてみましょうか。
その原因がきちんと理解出来て、かつ実行出来ると仮定したならば
それに能力値って言ったって、少なくとも中学1年生、遅くとも高校1年生
つまり入学試験を受けた時には点数の差こそあれど、そんな彼らと勝負出来る程の実力があったアナタにもあった筈です。
自分が落ちこぼれていった事実ではなく
瞬間的とはいえ、彼らと互角に戦える程の実力があったことにまずは目を向けて。
自分を褒めて誇りを持つことから始めるべきだとダンは思います。
いやーアナタは素晴らしい!
あとは能力値の差を埋める仕組み化や、別の有利な能力で戦えるフィールドに行けるかどうかの問題。
ここが出来ればアナタは優秀だった同級生よりもアドバンテージを持って戦うことが出来ます。やったね!
そもそもキミは落ちこぼれてなんていなかった。
勉強以外の才能が見つかると、落ちこぼれたと感じていた劣等感なんて秒で吹き飛ばせる
かくいう私も地方の公立進学校出身なのですが、
あなたに負けないくらいそれはもう勉強に関してはド派手に落ちこぼれました。
しくじり先生に出演することが出来るレベルで(笑)
赤点は何度取ったかわかりません。あと1時間課題の提出が遅れていたら、留年していました。
小テストなんて50個以上追試を貯めて、踏み倒して卒業しました。
未だに夢で小テストの追試でうなされることがあります(笑)まあ自業自得ですね。
トップグループは当然のように東大に行き、旧帝大、医学部、国公立大学に進学していきました。
一方の私は地方の2流私立大学を卒業しました。
授業に出なくても、居眠りをしていても簡単に単位が貰えてしまえる程の、それはそれはラクな大学でした。
自分の不勉強が原因とはいえ、いい大学に行った彼らが、私もある時まで羨ましくて羨ましくて仕方ありませんでした。
そのモヤモヤは、在学中だけでなく社会人になってからも暫く私を苦しめ続けました。
自分は人生の敗北者になったのではないか。
大袈裟ではなく、当時は本気でそう思っていたのです。
そしてそのまま大学を卒業して営業会社に入社し、大きな成果も出せず毎日毎日上司に叱責され続け
鬱になる寸前まで追い詰められました。
心と身体がついて来ない中で「もうダメかもしれない」という思いと
「こんなことで負ける筈ない、俺なら絶対にやれる!」という思いが心の中でグルグルと駆け巡っていました。
そこから転職をして教育の会社の営業職となり、大きく人生が変わります。
入社半年後、25歳で150人中1位のトップセールスになり、当時の入社最短記録で支店長となります。
たった半年まで、鬱病になる恐怖と闘っていた人間が、ですよ。
飛び込み営業をすることに怯えて、公園で泣いてサボってたダメ営業マンがですよ。
私自身も自分が売れない営業マンだと思っていました。自分は営業に向いていないと本気で思っていました。
勉強だけでなく仕事も出来ないダメなヤツだと思いこんでいたんです。
でも違ったんです。自分に無理をして、本当の自分を心の中で必死に押し殺していたから、売れなかったんです。
自分の感情に正直に、自分の考えた通りにやってみたら、面白いように成果が出だしたんです。
自分は決して劣っていた訳ではなく、やり方を知らなかっただけだったんだ。正しいやり方さえ理解出来れば、普通の人以上のパフォーマンスを出すことが出来る。
たった半年でそう思えるまでに能力的にも、人間的にも成長することが出来ました。
そうやって勉強以外で成果が出せる所、自分が輝ける場所が見つかると
高校の時に勉強が出来たかどうか、偏差値がどうだったか、何処の大学出たかなんて
マジでどうでもよくなります。
進学校に入ることが出来る人間は、もともと
人並み以上に好奇心旺盛で
高い思考力
成果を出すまで頑張れる粘り強さ
を間違いなく備えています。
義務教育とはいえ、理解すべき内容を8~9割理解していた時点で、あなたは既に優秀なのです。
もしあなたが結果が出ずに苦しんでいるのだとしたら
それは努力の方向性を間違えているか、成果が出せる環境にいないだけ。
あなた自身が自分自身の才能に気づいていないか、眠らせているだけなのです。
当時の私より数倍も優秀だったであろう、ナベヤンさんも記事の中で私と似たようなことを仰っていますね。
進学校で落ちこぼれてもそこで人生が決まる訳ではなく、あくまで通過点
センター試験に失敗した、大学受験に失敗した…
それによって人生が終わってしまったかのような錯覚を起こすことは、誰にでもあることだと思います。
真面目で、プライドが高くて、本当に沢山努力をした人であればあるほど、そういう気持ちにもなるでしょう。
勉強や成績によるプレッシャーで、こんな事件もありましたね。
よくよく掘り下げていくと彼は高校でも浮いていた存在ではあるらしいのですが
それでも勉強や成績で追い詰められて、衝動的な行動を起こしてしまう人を、
恐らくアナタは心の中で軽蔑しながらも、少し共感出来てしまう所があるんじゃないでしょうか。
そして進学校で落ちこぼれてしまった自分の人生について絶望したり
進学校で落ちこぼれた人間の末路ってどうなるんだろう、って気になったりしてるんじゃないでしょうか。
いいですか。よーく聞いて下さいね。
進学校で落ちこぼれ、ADHDまで持ち、鬱病を発症し、転職6回したって
年商10億超のベンチャー企業でNo.2になれます。そうです、私のことですね。
これが進学校で落ちこぼれた人間の末路の一例です。個人的にはいい意味でと捉えたい(笑)
一方で高学歴のキップを努力しながら手に入れたのに仕事が全く出来ず出世しない人、世の中にめっちゃいます。
飲み屋で口を開けば、40にも50にもなったいい歳のオッサンがセンター試験の点数や出身大学の自慢。
そういう人って客観的に見てクソダサくないですか?
アナタだったらどっちの人生を選びますか?
高学歴を得たけど全然仕事出来なくて、過去の栄光しか自慢できないクソダサオッサンに向かっていくのか。
良い学歴は得られなかったけど、問題に真摯に向き合って着実にステップアップし、
社会的な信頼を掴み取るオッサンになるのか。
決めるのはアナタですが、客観的に見て間違いなく後者の方が人間としてカッコイイよね。
結局進学校で学ぶ3年間という期間は長い人生の中で見たらほんの一部でしかなくて、
卒業してからの人生の方がうんと長い訳です。
卒業後の人生、何処かで頑張ればこの程度の失敗はナンボでも挽回が可能です。
もう挽回出来なくなってしまったことも勿論あるけれど、
それでも手元にあるカードを駆使すれば充分豊かで楽しい人生を送れます。
僕からしたら高い学歴を持ってるのに仕事でアウトプット出来ず自分より低学歴の同僚に負けて、
過去の栄光しか自慢出来ないような人の方がよっぽど「学歴は高いけど社会に適応出来ず落ちこぼれた悲惨な末路」
やと思いますね。
人間の幸福度において学歴は有意となる影響はない?
学歴は人間の幸福度において殆ど意味をなさない、ということが研究結果であるようです。
自分の進路を自分で決めた人、自分で責任を負うと覚悟を決めた人の方が長い目で見て幸せになれるようですね。
そう考えると代々続く名士の家に長男として生まれたから家を継がないといけない、
だから地元の進学校に入って地元で一番優秀な大学に入り、地元で有名な大企業に入って…
みたいな子が私の学年にもいて、実際某名古屋大学に進学して大手企業に入り、家を継ぎました。
でもその人って私みたいに幸福度高いんかな?とふと思いました。
だってもう生まれた時から運命みたいなの決められていて、
それをなぞって生きていくことが宿命づけられているわけですよね。
その子が納得しているならいいけど、
いや本当は音楽に興味があって…美術に興味があって…
みたいな場合、その子は自分がやりたいことに目をつぶって生きていかないといけないことになるので、
本当の意味で幸福にはなれないのではないか、と思ったりします。
結局の所進学校で落ちこぼれたことぐらいでキミに襲いかかって来る不安って何?
ここ結構重要なんじゃないかと思っています。もっともシンプルに言うと、
「何で進学校で落ちこぼれた程度でそんな絶望してるの?」
って話です。
進学校で落ちこぼれたことで将来にどんな影響があるんでしょうか。
最終学歴がショボくなる?
大企業に入れなくなる?
これまで築き上げてきたプライドが壊れた?
確かに最終学歴Fランと東大では見栄えがちょっぴり悪いよね。
東大生行ったアイツ、くそっ、この野郎ッ!って思うよね。
大企業に入れなくなる、うーん確かにトヨタさんとかグーグルさんとか、そのあたりは入るの大変かもね。
築き上げてきたプライドが壊れる、そうだね。でもまた努力して結果積み上げればいーじゃんね。
で、何?
って話なんです。いやホントに。
そんなことで悩んでたり落ち込んでる方がよっぽどダセーよ、って話だよね。
いいですか、よく聞いて下さいね。
学歴の本質は何なのかというと、
であって、それが他のルールの中でも応用出来たり、適応出来る保証なんて1ミリもない訳ですよ。
しかも平等と言いながら、親がカネかけて家庭教師ブーストかましたり
塾行かせたりすることもルール違反ではないから、実は家庭環境にも左右されたりする。
表向きは平等なようで極めて不平等なんですよ。
言い方悪いけど麻雀の手牌や大富豪のカードでカスばっか手元に来ることありますよね?
学歴って、個人の努力次第な所もあるけど、運ゲーの要素もあるんです。
家庭環境が恵まれない中で独学で勉強して難関大学に入るような人は、本当に優秀でしょう。
サバイバル力が違いすぎて、多分何処行っても成果出せるタイプ。
でもそういう例外を除いたら、残りの8割~9割は運にも左右される程度のものでしかない、ってことです。
そんなことに悩んだり、落ち込んだりして一体何の意味があるの?って話です。
沢山の時間を使って勉強したという投資に対してのリターンが色んな要因も重なって悪かったんだよね
まあ自分の努力不足もあったんだよね
で済む話じゃないですか?
ただ一つ勘違いして欲しくないのは、落ちこぼれることと学ぶことを放棄することは別の問題なので、努力せず堕落していくのはダメだとダンも思います。
いい高校→いい大学→いい会社に入って人生バラ色。って時代ではなくなった
出身大学などの学歴ではなく、社会に出て何をしてきたかが重視される時代に
長い人生の中で、自分が望む学歴が手に入れられなかった、という結果については
RPGで言う所の「最強装備が手に入れられなかった」程度の話で
それで人生って言うRPGが終了するわけでも何でもありません。
別にラグナロクがなくたって、エクスカリバーでもラスボスは倒せるでしょ?そういうことです。
むしろいつまでも落ちこぼれた事実に拘ってる方が、悲惨な末路迎える可能性高いですよ、ということ。
人生は高学歴を得ることがゴールではなく
学んだことや体験したことをどう活かして、人生を楽しく豊かなものにしていくか
というゲームなので、上手く行かなかったら上手く行かなかったで別の方法を考えれば良いだけです。
いい大学に行けなかったからいい会社に入れない、だから人生詰んだ
みたいな考え方は極めて稚拙な考えで、他責な考えだと断言します。
だって今は転職が当たり前の時代になり、自分の努力次第で人生変えることが出来る自由があるんだもの。
確かに40年~50年前は終身雇用全盛期だったのでそういう側面もあったんでしょうけど、
今は終身雇用を真面目に語ろうもんならゲラゲラ笑われる時代ですよ。
これからもっと個人の価値観や考え方を大切にする時代に変わっていき、所属している会社の規模ではなく個人の能力や考え方が尊重される世の中になっていきます。
この20年~30年の間に高学歴を通行手形に終身雇用を前提とした大企業に所属し、高年収を貰うのが正義って時代ではなくなって来ていて、崩壊の序曲が始まっているということです。
レールに敷かれたどおり生きる東大生よりも
ボロボロでもいいから自分の力で強引にレールを引っ張り、腕一本で成り上がっていく進学校の落ちこぼれの方が
末路としては良い結果を生み出せる、ということです。
東大生にそれやられたらお手上げやけどな。でもほんの一握りだから。戦う相手はそこじゃないです。
時代がアナタの背中を後押ししてるんですよ。やりたいことを突き詰めてやろうという気持ちさえあれば、いつからだって人生を変えることは可能です。
だからこそ進学校出身の落ちこぼれだって日本にとっては超大切な存在。
たとえ進学校で落ちこぼれ今現在冴えない人生を送っていたとしても
その末路は決して暗いものではないことは理解頂けたでしょう。
アナタは必ず変わることが出来ます。やったね。
何故なら過去に勉強が人より出来た、という事実から
「成果を出せた経験を持っている人」であり、同時に「過去に大きな挫折や失敗を経験した人」と言う
相反する経験値を持っているから。
ダンの尊敬するビートたけしさんが、面白い理論を提唱しています。
振り子の理論でいえば、暴力とは反対の方向へ振れるだけ振っておけば、今度暴力の側へ戻ってきたとき、今までよりも、もっとずっと過激に表現することができる。振り子も愛と暴力の間でだけ振れるんじゃなくて、お笑いの方へも振ってみたいし、あらゆるところへ振っていく。その振幅が大きければ大きいほど、他へいった ときもっと大きいことができる。おいらは、平面的な振り子ではなくて、三百六十度あっちこっち振れて、結果的には水平にぐるぐる回ってしまうぐらいなこと をやりたいんだ。」
出典:「私は世界で嫌われる(ビートたけし)」(新潮文庫)
これを読んでみて、どう感じましたか?
勉強が出来て、第一志望に合格して、大手に進んで…
そんな優秀だった同級生よりも
正しい使い方をすればより強力なパワーを発揮出来るポテンシャルがあると思いませんか?
そしてそれが自分にも宿っていると思いませんか?
賛否両論ありますが、元ヤンキーが更生して普通の人よりも大きな成功を掴む話を、一度は耳にしたことがあると思います。
少し原理原則は違うかもしれませんが、あれも振り子理論と似ていると言えないでしょうか。
まとめ
進学校で落ちこぼれたと悩んだり、悶々とした思いを抱いているアナタに向けてのメッセージでしたが、如何でしたか。
アナタの武器は
「進学校に合格した」
「でもそこで思うような成果が出せず、大きな挫折を味わった」
という、2つの相反する経験を持っていることです。
もう少し具体的に言い換えると
「出来る奴の気持ち」も「出来ない奴の気持ち」も、あなたが経験してきたことで
両方の立場の人に対し深く共感してあげられることです。
「出来ない奴」の気持ちがわかる「出来る奴」は、無敵です。
そして今の日本に必要なのは多様性が進んだことで複雑な選択を迫られる人・企業に対し
相手の立場に立って物事を考えて相手に理解・共感を示し、時にリードしながら、伴走していける人材だと思います。
年商10億のベンチャー経営していてマジで思います。
ここに学歴の良し悪しなんて一切関係ないです。実際私の部下には旧帝大の子もいます。言うまでも非常に優秀です。
でも2流私立大学を出た私の方が会社での立場も上で、仕事のパフォーマンスも上です。
そういうことなんです。
その適性が一番高いのは、実は酸いも甘いも味わった進学校の落ちこぼれであるアナタだとダンは思っています。
あなたの能力は身近な人が必要としているだけでなく、日本経済においても喉から手が出る程必要な存在となっています。
成功を掴めるかどうかは、ホントに薄皮一枚程度の差でしかないのです。
どうか視座を上げて苦しかった日々をぶち破り、
当ブログを含め沢山学んで成果を出し、同じように困っている仲間に手を差し伸べてあげてください。
何故ならダンも過去に進学校の落ちこぼれである先輩に助けられて、今があるからです。
その先輩は決して悲惨な末路を迎えておらず、有名大学に行った先輩以上に輝いており
今でも尊敬出来る素晴らしい先輩の一人です。
大丈夫。必ず出来る。
私は今苦境にいるあなたを、どんな時でも信じ続け、愛し続けます。
最後までお読み頂き、ありがとうございました。
今回は、進学校の落ちこぼれであるあなたに対し、絶対に出来る!という強い思いを込めて書かせて頂きました。
思いがオーバーフローすると、論理的でなくなるのが私の悪い癖なのですが(笑)、それでもあなたに対する熱い思いは、文面から感じ取って貰えると思います。
あなたの人生により多くの幸運が降りかかることを、そして成功を掴むことを、
心から願っています。
ダン
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