羽生善治 レーティングと藤井聡太との共通点

将棋の王将

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羽生善治 レーティングと藤井聡太との共通点

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この記事でお伝えしたいこと

羽生善治先生の最新レーティング

羽生善治先生のこれまでの功績

羽生善治先生にまつわるエピソード

羽生善治と言う棋士は何故こんなにも将棋ファンから愛されるのだろう。

かつて誰よりも多くタイトルを保持し、前人未到の7冠を達成した男。

7冠とは将棋のタイトルを全て総なめにするという意味だ。

積み上げたタイトルは99期。誰もがなしえない偉大な記録でもある。

しかしここで一つの疑問が浮かぶ。

本当に将棋が強いだけでこれほどまでの人気を得ることが果たして可能なのだろうか?

ダンも将棋はアマチュア2段の腕ですが、現在の藤井聡太さんが有名になる前から将棋が好きで

その当時から羽生善治さん(以後敬意を込めて羽生善治先生と呼びます)の大ファンです。

ちなみに以前記事にもした木村一基先生のファンでもあるのですが…笑

今日はそんな羽生善治という偉大な棋士の生い立ちや記録、そして発言について迫ります。

目次

羽生善治 最新レーティング

羽生善治の最新レーティング

羽生善治先生のレーティングですが、

2024年1月度の時点では2003で全体の5位となっております。

ちなみにレーティングについてですが、

過去の対局結果等から実力を数値化したもの

対局における勝率や期待値を出す際の指標として使われることが多い

平均レートを1500とし、プロ棋士になった(新4段)際も初期値は1500から

となっており、

レート差が大きい程勝負に偏りが出ると言われています。

具体的にはレート差が100程度あると、高い方の勝率が約64%

レート差が200まで広がると、高い方の勝率が約76%まで上昇します。

(計算はこちらをもとに行いました)

過去の最高レート

余談ですが羽生善治先生の最高レートは、2014年の6月に叩き出した2104となっております。

参考までに、このレートの状態で平均レートである1500の方と仮に対局した場合、

羽生善治先生が勝利する確率は理論上何と約97%。

プロ同士の対局とは言え、対局前からここまで勝率に偏りが出ることに驚きです。

もう一つ参考までに羽生先生の2104と言うレーティング数字の凄さについてですが、

現在最強棋士の呼び声高い藤井聡太先生のレーティング最高値は2093(2023年5月時点)となっています。

最盛期の羽生善治VS藤井聡太 どっちが勝つ!?

単純比較は出来ませんが、仮にお互い全盛期のレーティングの状態で対局した場合

約54%の確率で羽生善治先生が藤井聡太先生に勝利します。

最強と言われる藤井聡太先生に50%以上の確率で勝利が期待出来る…考えられませんね。

羽生善治先生の歴代レーティング

羽生善治先生は過去に1992年5月~2004年2月までなんと141か月連続レーティング一位

と10年以上に渡り理論上最強の座についていました。

如何に長年に渡って強さを維持されてきたのかがレーティングからもわかりますね。

最後のレーティング1位は2017年の4月の2008でした。まだまだ挽回に期待したいところです。

ダン

ちなみに羽生先生がプロになられてからのレーティング推移と順位を表にするとこんな感じです。

2023年~2015年

2014年~2006年

2005年~1997年

1996年~1988年

1987年~1985年

如何に長期に渡り高いレーティング、そして順位を維持されているかがよくわかりますね。

羽生善治 生い立ち 奨励会入会まで

そんな羽生善治先生の生い立ちを紹介いたします。

出生~奨励会に入るまで

羽生善治さんは1970年の9月27日に、埼玉県所沢市で生まれます。

その後幼稚園に入る頃に東京都八王子市に移り住み

小学校1年生の頃近所に住む同級生T君から駒の動かし方を教わったことで将棋を知ることになります。

そして将棋に熱中している羽生さんを見かねたお母さんが小学校2年生の頃、

八王子の将棋クラブの「夏休み小中学生将棋大会」に申し込んだことで大会デビューを飾ります。

ちなみにこの大会では良い成績は残せなかったとのこと(1勝2敗)

ですがこの大会以降毎週八王子の将棋クラブに通うようになり、メキメキと実力をつけていきます。

小学校3年生でアマチュア初段

小学校4年生でアマチュア4段

小学校5年生でアマチュア5段

と驚異的な速度で腕を上げていきます。

アマチュア将棋2段のダンも約5年ほどの時間をかけて

週末に本や詰将棋を勉強してようやくたどり着いた程度なので、

羽生先生が如何にとんでもない速度で成長していったのかがわかります。

広島カープの帽子をかぶった少年

毎週末八王子将棋クラブに通うことになった羽生先生ですが、

もともとは当時住んでいた八王子が住宅街だった為お店が少なく、週末に両親が揃って買い出しに行く際に

席主さんに挨拶し、預けていたということもあったようです。

また羽生善治先生自体は読売ジャイアンツファンだったらしいのですが、羽生先生が大会等に出場しても

何処にいるのかすぐにわかるようにと、わざと目立つ広島カープの帽子を羽生先生に被らせていたようです。

名門だった!?八王子将棋倶楽部

現在は閉所してしまったようですが、八王子将棋クラブは羽生先生以外にも沢山の棋士を輩出した名門道場です。

一例ですが

阿久津 主税先生

甲斐 智美先生

村山 慈明先生

中村 太地先生

大橋 貴洸先生

高見 泰地先生

伊藤 真吾先生

増田 康宏先生

等がOB・OGでいらっしゃり、中村先生、高見先生は過去にタイトルを獲得した実力派の棋士でもあります。

大橋先生は今話題の藤井聡太先生と相性が良いことでも知られ、藤井キラーの愛称で親しまれています。

羽生善治先生に憧れて通われた先生もいらっしゃるようで、まさに名門と言ってよいでしょう。

プロ棋士の登竜門、奨励会へ

小学校5年生の時に将棋のプロになる為の育成機関、奨励会の入会を志します。

プロ棋士になる為には奨励会に入会が必須で6級からスタートし、4段まで昇段すると晴れてプロ棋士として活動が出来ます。

また奨励会に入会するには現役のプロ棋士の推薦が必要で、プロ棋士の方に師匠になって貰い、

自分はプロ棋士の弟子となる必要があります。

当時八王子将棋倶楽部の師範代(羽生先生の師匠の一番弟子)に相談した所、

「小学生将棋名人戦での優勝が条件」

と非常に厳しい条件を出されます。

しかし羽生善治先生は小学校6年生の小学生将棋名人戦にて本当に優勝してしまい、条件をクリアすることで

二上達也先生の弟子となり、奨励会に入会することとなりました。

こぼれ話 名人があの場所に4人も!?

小学生将棋名人戦で優勝した羽生善治先生ですが、その大会で3位になったのは

その後羽生善治先生と長きに渡りライバルとして活動していく森内俊之先生

そして現在史上最年少名人の記録を持つ谷川浩司先生

そして時の大棋士大山康晴先生

後に名人を経験する4名が一同に集まっていました。

大山先生は当時の羽生善治先生、解説されていた谷川先生を見て

将棋界の未来はこの二人がライバル関係となって作られていく旨を語られていたそうです。

子どもが将棋を指している絵
ダン

やはり天才は天才を知る、ということでしょうか。

羽生善治 七冠 中学生プロ棋士から初タイトルまで

史上3人目の中学生プロ棋士

奨励会入会後、わずか1年あまりで6級から初段へと凄まじいスピードで昇級・昇段します。

そして1985年に、13勝4敗という成績で当時の規定により4段(プロ)に昇段致します。棋士番号は175番。

ひふみんで有名な加藤一二三先生、先述した谷川先生に続き史上3人目の中学生棋士誕生でした。

ちなみに中学生でのプロ棋士は、藤井聡太さんを含めても5名(残り1名は渡辺明名人)しかいません。

中学生でプロの棋士になることが如何に難しくシビアな世界なのか改めて痛感させられますね。

伝説の5二銀

華々しくデビューした羽生善治先生は、

年度明けの1986年に勝率7割4分超え(40勝14敗)で全棋士トップの勝率を叩き出し、

いきなり新人賞と勝率一位賞を受賞します。

ちなみに将棋は勝率が6割を越えたら一流の証、7割越えは超一流の証と言われています。

昨今藤井聡太先生や徳田拳士先生が8割、9割ととんでもない勝率を叩き出していますが(笑)、

羽生善治先生の勝率は間違いなく超一流の証と言えます。

そして羽生善治先生の名が一躍有名になったのは1988年のNHK杯でしょう。

大山先生、加藤先生、谷川先生、中原先生と名人経験者4名を4タテして優勝。

特に羽生善治先生を有名にしたのが、加藤先生との一局で出た伝説の5二銀でしょう。

解説をしていた故・米永邦雄先生の「おおー!やった!」という絶叫を始め、多くの棋士が絶賛した妙手です。

12分29秒あたりで、故・米長邦雄先生が叫んでいる様子が見て取れますね。

結果、その年の最優秀棋士賞(スポーツでいうMVP)を18歳にして獲得します。

そして翌1989年、勢いそのままに初めてのタイトル戦、竜王戦に挑戦します。

相手は「島研」の主催者である島朗先生

島研は羽生善治先生をはじめ森内先生、そして現将棋連盟会長の佐藤康光先生

現在までの将棋界をリードし続けるメンバーで行われており、まさに研究会のメンバーどおしでの争いとなりました。

初のタイトル獲得、失冠

初代竜王の島先生とのタイトル戦は持将棋を含め8局を行い、

4勝3敗のフルセットで初のタイトルを獲得することになりました。

当時19歳でのタイトルは最年少タイトル記録となりました(後に屋敷先生、藤井聡太先生が更新)

最高位を獲得したことにより、当時19歳で将棋界の序列一位に躍り出たこととなります。

しかしその翌年の竜王戦、初のタイトル防衛をかけたタイトル戦で

谷川先生に1勝4敗で負け越し、タイトルを1年で明け渡してしまうことになります。

初タイトル獲得後の防衛確率は約3分の1と低く、決して簡単でないことがデータからもわかります。

結果、タイトル奪取から約1年で再びタイトルを失い、無冠となりました。

棋王戦獲得から怒涛のタイトル奪取、七冠へ

タイトル失冠から約4か月後の1991年3月、南芳一棋王から棋王のタイトルを奪取すると

そこから破竹の勢いでタイトルを積み上げていきます。

約1年半後の1992年9月の王座戦で福崎文吾王座からタイトルを奪取し、複数タイトル保持者となると

前年に竜王位を奪われた当時3冠の谷川浩司竜王から再び竜王位を奪い返し、三冠となります。

更に1993年度には谷川浩司棋聖から棋聖位を、郷田真隆王位から王位をそれぞれ奪取し、五冠王となります。

しかし竜王戦で現会長の佐藤康光先生に敗北し、竜王位を失冠し1993年度は四冠で終了しました。

翌1994年度から再び快進撃を続け、プロ棋士の夢である名人を故・米長邦雄先生から4勝2敗で奪取します。

更に前年度竜王位を奪われた佐藤康光竜王から竜王位を奪還し、遂に六冠に。

完全制覇の為に残るは谷川浩司先生が持つ王将位だけとなり、1995年の1月から王将戦がスタートしました。

3勝3敗のフルセット、あと1勝で七冠達成というところでしたが

青森県で行われた七局目で無念の投了。六冠のまま1994年度を終えました。

折しも1995年1月といえば阪神淡路大震災が起きた時期と重なり、

谷川浩司先生は神戸出身・在住でもあります。

谷川先生も胸に期するものもあったことでしょう。

この後、羽生善治先生は

「七冠達成のチャンスについては向こう2、3年訪れないと思っていた」

と語っています。将棋のタイトルを防衛すること、そして奪取することが如何に難しいのかを物語っていますね。

しかし翌1995年度には、保有している六冠を全て防衛すると、

再び谷川先生が保有する王将位を目指しタイトル戦に挑みます。

序盤から谷川王将を圧倒し、3連勝。七冠王まであと一勝とし、対局地の山口県に乗り込みます。

そして王将戦第四局目で無事勝利し、史上初、前人未到の七冠を達成しました。

羽生マジックとは!?

羽生善治先生の将棋で有名なのが「羽生マジック」でしょう。

羽生マジックとは、主に将棋の対局における中盤~終盤にかけて出る手で

それまで対局者の方がやや有利、勝勢の局面から

形勢がひっくり返り、いつの間にか羽生善治先生が有利、勝勢となる状態のことを指します。

 

将棋はミスをした方が負けるゲームなので、羽生善治先生の指した手を見た対局者が

いわゆる「悪手」を指し、形勢が逆転することを羽生マジックと呼びます。

ただし羽生善治先生は羽生マジックについてはやや懐疑的な見解をお持ちのようで、ご本人としては

その時に最善だと思った手を指しているだけに過ぎず、より複雑な局面にしようとした結果である旨を語っておられます。

いわゆる相手を貶めるような意図を持っているわけではなさそうですね。

より複雑な局面に持ち込むことで、相手の指す方向性が定まりにくくなり、結果勝敗において不要な手を指してしまう。

これがどうやら羽生マジックの真相のようです。

羽生善治 七冠獲得~無冠まで

七冠期間は半年

七冠達成後の七冠保持期間については、167日と約半年程となっています。

棋聖戦にてみうみうこと三浦弘行先生にフルセットの末敗れ、失冠すると

続く竜王戦、名人戦のタイトルもライバルの谷川浩司先生に奪われ、四冠となります。

四冠でも相当凄いことですけどね。

羽生善治先生は七冠ではなくなったことで、ようやく普通に戻れることでホッとしたという旨のことを語っておられます。

七冠ということが如何に偉大で、そして異常な事態だったのか、羽生善治先生にしかわからないことなのでしょう。

永世七冠、タイトル99期

それ以後はタイトルの獲得、失冠を繰り返していくことになりますが

タイトルが0になる2018年度の竜王戦まで

何らかのタイトルを毎年最低1つは保有し続け、それを27年続けたということはとんでもない記録となります。

そして2024年現在、積み上げたタイトルは99期と歴代一位。

2024年現在までのタイトル挑戦数とタイトル期数は以下です。

5期~10期タイトルを保有することで与えられることが多い、永世位の資格を七冠のタイトル全てで保有しています。

(※2017年度に新設された叡王は除く)

ちなみに永世位を7つ持っているのも勿論羽生善治先生だけ。

その他現役棋士で永世称号をお持ちの先生は

永世名人の谷川先生、森内先生、永世竜王・永世棋王の渡辺先生、永世棋聖の佐藤康光会長だけ。

どれだけ永世位を7つ保有することが凄いことか、おわかり頂けるかと思います。

また、タイトル以外にも様々なトーナメント、オープン戦でも優勝を飾っています。

主な一般棋戦の優勝回数は以下です。

NHK杯テレビ将棋トーナメント 11回

朝日オープン将棋選手権 7回

朝日杯将棋オープン戦 5回

銀河戦 5回

将棋日本シリーズ(JT杯) 5回

オールスター勝ち抜き戦 4回

早指し選手権 3回

天王戦 2回

若獅子戦 2回

新人王 1回

達人戦立川立飛杯 1回

年度負け越し、A級陥落…

2020年度の竜王戦以降から少しずつ調子を落とされ、

特に2021年度は年間勝率が5割以下になっただけでなく、

長らく順位戦では最高位と言われるA級に在籍していましたが、陥落することとなりました。

A級には実に29年在籍。しかしながら四半世紀以上トップ棋士として走り続けたことは凄いことです。

タイトル在位99期から念願の100期獲得まで少し足踏みが続いており、

広瀬章人先生豊島将之先生と竜王戦でのタイトル戦でも奪取に失敗していますが、

必ず復活し、タイトル100期、A級返り咲きという偉大な記録を打ち立ててくれると信じています。

2022年王将戦は、藤井聡太VS羽生善治の新旧天才対決に

一体どれほどの将棋ファンがこのカードを待ち望んでいたことでしょうか。

2022年王将戦リーグ戦にて羽生善治先生が予選を勝ち上がり、王将戦の挑戦者として

今や向かう所敵なし藤井聡太王将とタイトル戦を争うことになりました。

プロ棋士の中でも特に人気・実力の高いお二人のタイトル戦は、

多くの将棋ファンが待ち望んでいた光景でもあります。今から対局が楽しみで仕方がないですね。

近年の将棋界の中でも有数のビッグマッチとなりそうです。

王将戦に関する記事についてはこちらから是非お読みください。

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結果、4勝2敗と残念ながら藤井聡太先生から王将位を奪取することは出来ませんでしたが

ここまでの藤井聡太先生とのタイトル戦で、もっとも藤井聡太先生をヒヤリとさせたシリーズであったことは

間違いありません。

特に2局目。

角換わり腰掛銀という、世界一の指し手である藤井聡太先生のエース戦法に

真向から挑み、深い研究によりこれを破った一局は感涙もの。

This is 羽生善治!

と叫ばずにはいられませんでした。

羽生善治 将棋連盟会長に

将棋連盟100周年を前に

羽生善治先生はプレイヤーだけでなく、遂に連盟のトップとしても活動していくことになりました。

将棋連盟設立100周年を前に、タイトル獲得99期という前人未到の記録を持った棋士が

会長となります。

詳細については合わせてこちらの記事もお読みください。

会長在任中の100期獲得なるか

会長在任中に通算100期を獲得出来るか否かが一つの争点となりそうですが

藤井聡太先生と言う強敵に、史上最強の実績を持つ会長が挑みかかる

想像するだけでとてもワクワクしますね。

現役最強の棋士を会長が破る、なんてことになったら物凄い話題になりそうです。

ダン

棋士羽生善治の偉業を、連盟会長羽生善治が称える、というシュールな姿も是非見てみたい!

申し込み殺到!?免状の申請について

羽生善治先生が会長になられたことで

アマチュアの段位保持者が申請することで貰える

段位の認定免状人気がとてつもないことになりそうです。

と言うのも、免状には

将棋連盟会長

その時の名人位

その時の竜王位

が揮毫(毛筆でサインですね)することになっており

現時点で

羽生善治会長

藤井聡太竜王名人

の揮毫が入った免状が貰えることがほぼ確定しているからです。

将棋界を二分する人気棋士お二人の直筆揮毫が入った免状、滅茶苦茶価値ありますよね。

ダン

ダンもアマチュア二段の段位を持っているので、このタイミングで絶対に申請します!また手に入ったら報告しますね!

羽生善治 畠田理恵との馴れ初めや子供・ウサギなどペットの話

本業である将棋の実績ばかり紹介しましたが、ここからは少し盤外での羽生先生の素顔に迫ります。

羽生善治 畠田理恵との馴れ初め 子ども

羽生善治先生は元アイドルの畠田理恵さんと1995年に婚約され、1996年に挙式されています。

お二人の出会いですが、雑誌の対談で当初奥様とムツゴロウさんが対談予定だった所、

ムツゴロウさんが直前で体調不良となり、急遽代打で羽生善治先生と奥様で対談という形になったそうです。

そこからは羽生善治先生から奥様に対し「食事に行きませんか」等の猛アプローチがあったそうです。

やはり将棋同様、奥様への寄せの道筋が見えたら谷川先生もビックリの光速の寄せだったのでしょうか(笑)

その後1997年に長女が、1999年に次女が誕生しています。

七冠となってからも多忙な合間を縫って奥様と二人三脚で家庭を作ってこられたのがわかりますね。

余談ですが免状(将棋連盟が発行する段位)の署名等は受け取りや発送作業がありますが、

奥様もお手伝いされていたようです。内助の功という表現がぴったりですね。

合間の時間を縫うように署名し、連盟に発送し、また次のを受け取って…という作業だったようです。

対局の準備だけでも大変ですが、名人・竜王となったことで免状の署名作業も加わり、更にメディアの取材やイベント等のスケジュールも全て羽生善治先生がご自身で管理されていたとのこと。

本当に大変だったんだろうなと思ってしまいます。

動物大好き!?意外な一面も

羽生善治先生は動物好きな奥様の影響もあってか、ご自宅でウサギ・犬を飼っているそうです。

奥様のTwitterで動物と過ごされている様子が時折アップロードされていますが、本当に癒されますね。

羽生善治先生自身も奥様とお付き合いされている当初は動物が苦手だったようですが

今では動物が好きなようで、夜中に飲み物(爽健美茶が好物?で定期で取っているようです)を取りに移動される合間、ウサギの所に行って頭を撫でては

かわいいなぁ…

と呟く?様子を奥様にも目撃されているようです。

また、ABEMAの企画でウサギカフェに行く企画ではウサギを手慣れた様子で抱かれている様子が映っていました。

他にもお仕事前、ウサギが公園に捨てられた事実を知ってあの温厚な羽生善治先生が奥様の前で激怒されたそうです。

今ではすっかりウサギが大好きなんですね。

羽生家の愛兎であったゆきちゃんが2022年の9月に天国に旅立った際は、深い悲しみにつつまれ

ゆきちゃんの話が出た折には

「本当にゆきちゃんは可愛かった!」涙を流されていたそうです。

盤上で見せる精悍な顔とは全く違った、羽生善治先生の動物思いで優しいお人柄が垣間見えるお話ですね。

また藤井聡太竜王との王将戦では

ウサギをモチーフにした着物、アイテムを利用されたようです。

ウサギへの並々ならぬ愛情を感じますね。

嵐が好き

嵐にしやがれ!という番組に出演されたことも要因だとは思いますが、

羽生善治先生は現在活動休止中の嵐が大好きだそうで、番組を録画したり、ご家族で一緒に観ることもあるそうです。

番組では羽生善治先生の気さくな一面も見ることが出来ました。

一緒に将棋崩しをしたりなどして楽しまれていましたね。

チェスは何と日本ランク一位!

羽生善治先生と言えば将棋にて他者をよせつけない圧倒的な結果を出している将棋の神様のような存在ですが、

将棋以外のボードゲームもめちゃくちゃ強いそうです。

その中でも特に強いのがチェスで、羽生善治先生も趣味はチェスと公言される程のものです。

チェスを始められたのがちょうど七冠を目指していた1996年、26歳頃という話ですから

一体あんな多忙な中何処にチェスを学ぶ時間があったんだ、という感じですね。

しかもチェスの勉強は月に1、2度くらいしか取れないにも関わらずメキメキと力をつけ

1999年~2000年頃には積極的に海外に対局に行くようになったそうです。

その期間にFIDEマスターというチェスのタイトルも獲得しており、

更に2007年にはチェスのレーティングで国内1位を獲得する等素晴らしい成績を収めています。

また2005年にはグランドマスターと呼ばれる高クラスの選手を破り、

この際の手がチェスの定跡をも変えたと言われる対局となっています。

ダン

将棋の棋士になるような方は、やはり頭脳ゲームはルールさえ覚えれば簡単に一定以上の力を発揮出来るのでしょうか…

他にも2019年の麻雀最強位決定戦で鈴木大介先生が優勝したり、

バックギャモンというゲームで森内俊之先生が世界4位を獲得するなど

棋士の勝負ごと、ゲームの強さは圧巻ですね。

羽生善治 エピソード・語録・名言・思考

羽生善治先生のプライベートについて紹介させて頂きましたが、ここからは

棋士羽生善治、そして人間羽生善治が語った語録、エピソードの中でお気に入りなのを幾つかご紹介いたします。

本当は全部紹介したいのですが、あまりにエピソードが多すぎてここでは全て書けません(笑)

ですがこの語録や考え方、エピソードにこそ羽生善治先生が羽生善治先生たる所以であることが凝縮されています。

※一部確認が取れておらず、所謂噂程度のものもございます。ご了承ください。

羽生善治エピソード

奥様とのデートやご家族でのエピソード

①奥様と初めてのデートで水族館に行った際、緊張していたのか自分のチケットだけ買い、奥様を差し置いてそのままスタスタと入館。

②婚約中、自宅に遊びに来られた奥様に「ちょっと待ってて」と言い放ち、そのまま別室で3時間将棋の研究

③日常会話中に突然棋譜を読み上げ、頭の中が宇宙へ。娘さんからは「パパ、また宇宙に行ってるね…」と慣れた様子。

④奥様にプロポーズ後奥様の親御さんとご対面された際、奥様の親御さんに向かって必殺の羽生睨み

⑤年頃の娘さんが男子生徒からアプローチを受けていることを知り、「そんな時はちゃんと「無理です!お断りします!」とハッキリ言わなきゃダメ!いいね!」とアドバイス

⑥タコ焼き機でタコ焼きをクルクル回したり、バーベキューで焼いたりするのがお好き。ちなみに奥様の手料理でお好きなのは「エビのフリッター」

⑦数独が得意な羽生善治先生、娘様の数独課題でどうしてもわからない最難関の問題があり、何と奥様が対局先のパリまで電話。「5分くらいで回答する」と告げ、無事それを上回る3分で回答

⑧実はロングスリーパーの羽生善治先生。最長26時間睡眠で、心配した奥様がティッシュを鼻先に当て呼吸しているか否か確認した程。

⑨喘息で苦しそうにしている奥様を心配してリビングドアを開け、「大丈夫?」と尋ねる羽生善治先生。「ちょっと無理かも…」と答える奥様に、「そうだね…」と目を閉じ、右上を向いた後にリビングドアをピシャリ。ん?右上?しんどいんだけど?by奥様

将棋でのエピソード

①ひふみんこと加藤一二三先生が好きで、無人島に連れていきたい人にひふみんを指名。それを聞いたひふみんは喜びながらも「持っていくものはモーツァルトのCD」と答えた

対局中、詰みの手筋や勝ちが見えると手が震える。酷い時は駒が持てない程。また対局終了後も震えが収まらず、扇子のストッパーがなかなかはめられなかったことも

③山ちゃんこと山崎隆之先生との対局中、難しい局面を見て投了した山崎先生に対しガッカリした表情を見せる。曰く「まだまだ難しい局面だったのに。」山崎先生は独創的な棋風の為羽生善治先生もまだまだ楽しめると思っていたからではないか、との説。

④東の羽生、西の村山と呼ばれる程の実力者だった故・村山聖先生と親交が深く、村山先生行きつけの「更科食堂」に連れて行って貰った。ちなみに村山先生が亡くなる前に最後に会ったのも羽生善治先生。

タイトル戦でひふみんが滝を止めたエピソードを対局先の女将から聞いた羽生善治先生、谷川先生も驚く光速の寄せ?で「私の時も滝を止めて下さい」とリクエスト

深浦康市先生との対局中、おやつに出されたアイスクリームを気にせず長考し、アイスが溶けていく様を見た深浦先生に心配される。また、溶けたアイスクリームを飲み干す羽生善治先生を見て「私はこの人には勝てない」と悟る深浦先生

弟子は取らないことを公言。「一人でも弟子を取ってしまうと、みんな弟子にしないといけなくなるから。」

その他エピソード

①寝癖がトレードマーク。「カメラを意識しますか」の問いに「意識してたら寝癖なんてつけない」と回答

②初タイトルの竜王戦、対局者の島朗先生や関係者と一緒に不動産ゲーム「モノポリー」に興じる。なんと封じ手の後や、タイトル戦が終わった後も興じていた

③実は英語が堪能で、通訳なしで会話できるレベル。きっかけは「チェスを学んだり大会に出る際必要だと思ったから」ちなみに英会話学校に通われてたこともあるそう

④目玉焼きにはソース、ご飯のお供には納豆。好きなお寿司のネタは「中とろ」

⑤子供の時の好きな漫画は「キャプテン翼」

⑥歴史上の人物で対談したい人は「ナポレオン」

⑦将棋以外の天才は「京大の望月新一先生」

⑧棋士以外でやりたい仕事「マジシャン」

将棋で残した実績もさることながら、それ以外のエピソードも大変楽しませてくれますね。

これも羽生善治先生の魅力の一つだと思います。

羽生善治語録・思考

ここからは羽生善治先生の有名な語録、思考について記載していきます。

勝ち負けだけにこだわらない

「周りのレベルも上げつつ、自分のレベルも上げるところが彼の凄い所。勝負の世界にいながら、周りとの差を広げることだけにこだわっていない」

とは長年のライバルでもあるウティこと森内俊之先生の弁。

実際に感想戦でも序盤~中盤等の意図や手筋については出来る限り明かすようにしているようで、

森内先生はそれにより周囲のレベルも相対的に上がったと言い、

将棋界の棋力向上や発展に対する羽生先生の貢献は計り知れない旨を語っています。

これについての考察ですが、ラグビーの故・平尾誠二氏との交遊の中で

「与えれば、与えられる」という趣旨の発言を羽生先生がされたそうです。

この時平尾氏28歳。羽生善治先生若冠20歳。

20歳にしてここまで達観されているのも恐ろしいことですね。

与えれば、与えられるという発言の真意についてはわかりかねますが、

推測の範囲で深堀りしていくと

①相手に情報を与えることで相手のレベルが上がる

②自分も相手に負けないよう努力する、負けたら今度はレベルアップした相手から学ぶ

③①、②を繰り返すことで、結果長期的に見て自分もレベルアップする

ことを既に見通されていたのではないかと考えられます。

また、別の機会でも羽生善治先生は

勝ち負けにはもちろんこだわるんですが大切なのは過程です。

結果だけならジャンケンでいい。

という趣旨のことも話されているので、目先の勝ち負けだけでなく長期的に自分が成長し、勝つ為に何が必要なのか

またその為に周囲のレベルアップが必要であることも感じておられたのではないかと愚察致します。

まさに利他の精神ですね。

苦手から逃げない、相手の得意戦法も受けて立つ

羽生善治先生の棋風で特徴的なのは、相手の得意戦法に対していなすような将棋を指すのではなく

あえて危険な所に飛び込み、斬るか斬られるかの状態で勝負をする所にあります。

相手の長所を封じたり、咎めたりする指し方は羽生善治先生程の棋力であれば問題なく指せるのでしょうが

タイトルが懸かった一局でも臆する所なく飛び込んでいく姿はとても印象的です。

藤井聡太先生も、AIの深い研究をされながらも羽生先生のお考えに近い棋風をお持ちですので

天才は、あえて相手の得意な形に飛び込んでいく習性があるのかもしれませんね。

この件に関して羽生善治先生は

守ろう、守ろうとすると後ろ向きになる。守りたければ攻めなければいけない。

と仰っています。

おそらく目の前の勝ち負け以上に大切なものを守る為に、羽生善治先生は危険な所に踏み込んでまで

攻めて何かを得ようとされていらっしゃるのでしょう。

そして

運命は勇者に微笑む

という羽生善治先生の言葉にもあるように守りに入らず、チャレンジし続けたものに運命は味方してくれる

ということを経験的に理解されているのだと思います。

羽生善治先生のような偉大な方ですら守りに入らず攻めの姿勢を大切にしているのですから

私達のような凡人は言わずもがな、何を恐れているんだと励まされるような気持ちになりますね。

玲瓏 透き通るように美しく

羽生善治先生が揮毫される際に書かれる文字の一つです。ちなみにダンも羽生先生の玲瓏扇子を持っております。

玲瓏とはタイトルの通り透き通るように美しいさま、玉がぶつかって美しく鳴るさまを表現した言葉ですが

羽生善治先生のよりシンプルに、単純に考えるという思想を突き詰めていった結果たどり着いた境地ではないかと思います。

直感には邪念の入りようがない。長く考えると言うのは道に迷っている状態なんですね。

「勝ちたい」とか余計な思考も入ってくる。だから、いくら考えても分からない時は

最初に戻って直感にゆだねることがよくあります。

簡単に単純に考える。

ということからもシンプルに、かつ直観で考えることの大切さを教えてくれます。

また、昔の情熱大陸に出演された際

若いころと比べると形勢が悪くなっても最後まで粘るのではなく

投了が早くなった旨も語っておられました。

勝ち負けだけでなく、そこから先の将棋の真理を学ぶという考えがないと早投げ(投了を早めに行うこと)は出来ません。

そこにはきっと将棋をもっと深く理解したい、真理に触れたい

という曇りのない透き通った好奇心のみが横たわっておられるのでしょう。

ローマは一日にして成らず タイトル99期も継続によるもの

羽生善治先生の実績を見てしまうと、とかく天才、逸材という概念が頭をもたげてしまいますが

日頃から積み上げる、積み重ねることが大切であることを語っておられます。

ひらめきやセンスも大切ですが苦しまないで努力を続けられるということが

何より大事な才能だと思います。

私は才能は一瞬のひらめきだと思っていた。しかし今は10年とか20年30年を

同じ姿勢で同じ情熱を傾けられることが才能だと思っている

と仰っておられます。

タイトルを99期獲得される方ですから才能はどう考えても間違いなくあるのですが

その才能を楽しんで続ける継続性と仰せです。

スキル、能力と才能をとかくくっつけようとしがちな現代ですが

継続することこそ才能である、という言葉は私達凡人にとって色々と考えさせられるテーマですね。

まとめ

今回は大好きな羽生善治先生の記事を書かせて頂きました。

誰もがなしえない実績は勿論ですが、それだけでなく

羽生善治先生の生き様や考え方、飾らない気さくなお人柄に今なお多くの将棋ファンは魅了されています。

有名な将棋youtuberのアユムさんも羽生善治先生の大ファンで、羽生善治先生が対局で勝たれるとわかりやすくテンションが上がります(笑)

A級の復帰や通算タイトル100期等、これからも更に羽生善治先生には頑張って貰いたいのですが

例え今後の結果が伴わなかったとしても、羽生善治先生のこれまでの実績は決して色あせることはありませんし

羽生善治先生の生き様はやはり尊敬に値するものだと思います。

これからも羽生善治先生を応援し続けたいと思います。

ダン

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