藤井猛 てんてーはポケモン好きな藤井システム創始者の鰻屋
将棋界を席巻し、将棋界以外でも今や大注目の藤井聡太竜王。
最年少記録を次々と更新し、
ラノベ作家が書いた創作以上の現実を突き付けてくる現代将棋の申し子。
ここまで異論の余地はないでしょう。
でもちょっとだけ待ってください。
オールドファンからすると、藤井聡太先生も確かに凄いけど
もう一人の藤井、いや元祖藤井、藤井猛先生を忘れてはいやしないか!?と。
元祖藤井こと藤井猛先生も、藤井聡太先生に負けず劣らずファンの多い棋士の一人です。
今日はそんな藤井猛先生のことをご紹介致します。
藤井猛 てんてーの生い立ち~プロになるまで
生い立ち~将棋に出会うまで
藤井猛先生は1970年に群馬県沼田市にて生まれます。
世代的には羽生世代のお一人で、
プロ入り後も長くこの世代とタイトルを争っていくことになります。
一般的なプロ棋士の方であれば、幼少期から将棋と触れ
そこで将棋の魅力を知り、メキメキ力をつけて神童と呼ばれ…
と言うのがパターンなのですが、
藤井猛先生が将棋を始められたのは小学4年生の頃とかなり遅いスタートであることが伺えます。
きっかけは、仲の良かった友達が将棋の指し方を教えてくれたこと。
出会い方はよくあるパターンですね。
そこから将棋の面白さを知り、将棋の魅力にハマった藤井猛先生。
しかし奨励会に入るまでには様々な苦難があったようです。
将棋に出会う~奨励会入会まで
将棋に出会い本格的に学んでいく藤井猛先生ですが
なんと対局をしてくれるお相手が見つからず、将棋の勉強は本(近代将棋)とテレビのみだったようです。
将棋を教えてくれた友達もすぐに転校してしまい、結局将棋のルールのみ知った藤井猛先生。
インターネットやオンライン対局が盛んな現代では考えられませんが
インターネットも普及しておらず、しかも地方ともなると
他の地方に住んでいた将棋愛好家の方々も、同様の事象で苦労されたのかもしれませんね。
それでも小学6年生の時に、近所に住んでいたアマチュア初段のおじさんを対局相手として見つけると
おじさんを相手に対局を繰り返し、力をつけていきます。
最初は二枚落ち(飛車角落ち)からのスタートでしたが、
メキメキと力をつけていき、半年後には平手(ハンデなし)でおじさんと指せるまでになりました。
ところが中学校に入ると、そのおじさんと指す機会もメッキリなくなってしまい
将棋の勉強はほぼ本とテレビのみとなってしまいました。
そこから暫く将棋の勉強をしていたころ、
近代将棋に掲載されていた塚田泰明先生(当時五段)の記事を見て
プロ棋士になることを夢見ることとなります。
理由は塚田先生をはじめプロ棋士の自由な生活ぶりに憧れたこと。
確かにプロ棋士は自由業に近いですよね。
そこから目標をプロ棋士に設定し、勉強に励んでいた中2の頃
将棋普及のボランティアをされている方と出会います。
ここで藤井猛先生の将棋を見たボランティアの方が
こんなに強い子が何故こんなところにいるんだろう…
となり、そのまま奨励会に入るべく
別の方を紹介してくれたのがすべての始まりでした。
将棋を指す相手がいない
将棋の勉強の仕方もわからない
プロになる為に導いてくれる人もいない
という状況の中からようやく一筋の光が舞い込みます。
ちなみにこの当時殆ど将棋を指さなかった藤井猛先生の腕前は
アマチュアの3段、4段程だったそうです。
ダンのように隙間時間に徹底的に将棋を指しまくって約3年で
ようやく2段になったのとは全然違いますね。
現実は甘くない。奨励会不合格
まずは研修会に入り、そこで腕を磨くことになった藤井猛先生。
やはり指していないということが大きなハンデとなっていたのか、
入ってから半年程は殆ど勝つことが出来ず、ひたすら負け続けてしまいます。
それでも半年が過ぎると少しずつ星を獲得することが出来、メキメキと頭角を現していきます。
その後中学3年生の11月に、念願だったプロになる為の登竜門、
奨励会の試験を受けることになります。
順調に合格してプロになる…
かと思いきや、待ち構えていたのは厳しい現実。
なんと、奨励会試験に不合格となってしまうのです。
将棋人生が終わったと思い、そこから1週間程ショックで寝込んでしまう藤井猛先生。
一般的に中学3年生で奨励会の試験を受けるのも遅いくらいなのですが(小学校低学年~小学校高学年が一般的)
更に不合格となってしまったことで、プロ棋士となる夢は遠ざかってしまったかに見えました。
研修会でAランクに入り、奨励会へ
しかしそのままで終わらない藤井猛先生。
研修会から出直しとなりますが、研修会で見事勝ち続け
1年でAランクに入り、奨励会へ入会します。
この時藤井猛先生、高校1年生。
しかしここから藤井先生の才能が開花します。
奨励会~プロになるまで
1986年の4月に奨励会6級となると入会してすぐに6連勝し、5級に昇級します。
同年8月に9勝3敗とし、4級に昇級。
同年11月に9勝3敗とし、3級に昇級と
入会して1年足らずの間に4つ級を上げます。
翌1987年6月、17歳の時に9勝3敗で2級に昇級。
翌8月、6連勝で1級に昇級。
そして1988年の10月に9勝3敗で、遂に初段に上り詰めます。
ちなみにこの頃まではツノ銀中飛車をエース戦法として据えていた藤井猛先生ですが
1級の頃には穴熊に苦戦し、なかなか勝ち数が積み上げられなかったようです。
そこで少しモデルチェンジをし、ツノ銀中飛車から中飛車穴熊へとエース戦法を変更。
1級から初段まで約1年ほど要しましたが、ここからプロ棋士を目指し
藤井先生の成長が加速します。
翌1989年7月、19歳の時にに9勝3敗で二段に昇段。
そして同年11月に、8連勝で三段に昇段。
いよいよプロ棋士まで残り1つとなります。
三段リーグの前期(4月~)は12勝6敗で4位となりますが
後期(10月~)は15勝3敗の圧倒的なスコアで1位を獲得。
藤井猛先生、16歳にて奨励会の門を叩いてから約4年。
20歳にして遂に念願のプロ棋士となります。
藤井猛 藤井システム誕生秘話
藤井システムの構想は奨励会時代からあった!?相手はなんと…
藤井猛先生の代名詞と言えば、藤井システムでしょう。
今までに全くない指し手、システムであり
タイトル通算99期の羽生善治先生をして「天才にしか思いつかない」と言わしめた
伝説の定跡の一つですが、
実は藤井システムが誕生するまでには既にそれに近い構想を持つ先駆者がいたそうです。
それが現在最強を誇る藤井聡太竜王の師匠、杉本昌隆八段です。
藤井猛先生が奨励会時代だった頃、振り飛車で三段リーグの猛者を相手に渡り歩き
村山聖先生をして「格調高い振り飛車」で四段昇段を決めた杉本先生。
そんな杉本昌隆先生は藤井猛先生より一足早くプロとなりますが、
杉本先生が奨励会時代に指していた、居飛車穴熊対策の定跡を
藤井猛先生は上手く活用出来ないかと考えだします。
この構想が後の藤井システムに繋がっていく訳ですね。
その頃の居飛車側の振り飛車対策と言えば横からの攻撃に対して強い囲い、代表的には
天守閣美濃、左美濃が採用されることが多かったのですが
振り飛車の杉本昌隆先生は、天守閣美濃に対し
玉頭を攻める作戦でこれを攻略することに成功。
振り飛車の宿命として、手数をかけて玉を守る居飛車側の守りに対し
如何にして崩していくのかは、時代の新古を問わず課題と言われています。
藤井猛先生も多分に漏れず、そのことで日々頭を悩まされていました。
藤井システムとはリスクを冒して急戦。囲われる前に仕掛ける
悩みに悩んで藤井猛先生が出した結論は、「玉が囲まれる前にリスクを冒して攻める」
ということでした。
実際に藤井システムの基本陣形を見てみましょう。
居玉の状態で、かつ飛車と玉が非常に近い位置にいますね。
藤井システム以前の将棋教室でこのような指し方をしたら、席主の方から
ほぼ間違いなく「コラッ!」と怒られるやつ(笑)
と言うのも、
飛車と玉(王)は離して配置せよ(攻撃の核となる飛車の周辺は戦場になりやすいため)
居玉は避けよ(動いて金銀で囲い、王手されても逃げられるように安全にしなさい)
という将棋の基本とも言われる指し方を2つも無視した駒組みをしているからなんですね。
しかし居飛車穴熊という振り飛車の天敵を攻略する為には
相手が王様を囲う前に攻めるのが必要。
その為には自玉を動かし、囲って安全に、という手数すら省略する必要があったのです。
ノーガード戦法と揶揄されるのはその為ですね。
ここから△3三角、2二玉、1二香車と進行し穴熊を完成させたい居飛車側ですが
藤井猛先生が生み出したシステムは、玉が2二にたどり着いた瞬間に
角、銀、桂をフルに活用して玉に猛攻を仕掛けるというもの。
これが後に猛威を振るうこととなります。
完成した藤井システム。47手でKOの衝撃デビュー
そして伝説となったのが
1995年の12月22日、B2の順位戦。
井上慶太先生を相手に練りに練った秘策、藤井システムをぶつけます。
棋譜は省略しますが、上記の通り
井上玉が2二に滑り込んだ隙を見逃さず、猛攻を仕掛け
平均100手前後で勝負が付くと言われているプロ棋士の世界では珍しく
47手での勝利と言う圧勝を演じました。
投了図は以下となります。
まだまだ指せそうな局面でもあるのですが
この後手持ちの飛車の打ち込みや6筋で睨んでいる飛車が走って来ること、
金駒が回収されていくことを考えますと
投了やむなしというのも頷けます。
そしてこれが藤井猛先生が磨きに磨き上げた藤井システムのデビュー戦。
ここから何年も猛威をふるい続ける、天才にしか思いつかないシステムが産声を上げた瞬間でした。
藤井システムは1997年に升田幸三賞を受賞しています。
升田幸三賞とは、新しい将棋の定跡を発明したり
その新しい定跡を普及した先生に送られる賞です。
藤井システムが升田幸三賞を獲得することにだれも異論はないでしょう。
ちなみに井上慶太先生は決して弱い棋士の先生ではなく
A級にも在籍経験があり、羽生善治先生からも勝利する程
実力のある先生の一人であることを追記しておきます。
藤井猛 獲得タイトル 実績等
藤井システムを主な武器に藤井猛先生が獲得したタイトル等を紹介いたします。
元祖藤井竜王は聡太ではなく猛!初代藤井竜王
藤井猛先生のこれまでのタイトルで最も輝くのが竜王でしょう。
1998年の竜王戦で永世名人である谷川浩司先生を
藤井システムを駆使し、4-0で破って竜王のタイトルを獲得。
藤井システムの猛威は将棋界に大きな衝撃を与えることとなりました。
元祖藤井竜王は、翌99年も挑戦者の鈴木大介先生(余談ですが元麻雀最強位の凄い方です 笑)
の振り飛車対決が予想されましたが
全対局を振り飛車で挑んだ鈴木大介先生に対し、藤井猛先生は何と居飛車で対抗。
結果4勝1敗で鈴木大介先生の挑戦を退け、竜王位の防衛を果たすことに成功しました。
そして2000年の竜王戦、挑戦者は羽生善治先生となりました。
フルセットまでもつれ込みましたが、4勝3敗で羽生先生の挑戦を退け、
渡辺明先生に更新されるまでの間、前人未到の竜王戦3連覇を達成しました。
ちなみにこの当時で羽生善治先生の挑戦を退けたのは谷川浩司先生のみでしたが
藤井猛先生は谷川先生に告ぐ二人目の羽生善治先生の挑戦を退けた棋士となりました。
翌2001年に、再び羽生善治先生の挑戦を受けますが
今度は羽生先生に1勝4敗と敗れ、竜王位は羽生先生の手に。
初代藤井竜王は、3度の連覇と共に幕を閉じました。
2000年、A級に昇格。その他タイトル戦
タイトル戦では竜王位を獲得し、三連覇しましたが
順位戦でも順調にステップアップしていき
2000年にはA級に昇級し、降級する2010年まで10年間A級に在籍しました。
2023年度は、B2級にて順位戦を戦っています。
その他棋戦成績
竜王戦以外のタイトルとしては、
1999年の早指し将棋選手権での優勝
2002年、2005年JT杯での優勝
2016年銀河戦
が挙げられます。
実は早指しも得意だった藤井猛先生。
特に2016年の銀河戦では、振り飛車ファンが泣いて喜ぶ(?)
藤井システムを連発しての優勝となりました。
ファンのことを考えて指し、かつ結果も残す藤井猛先生。
優勝した際はファンのことを思って藤井システムを採用した旨を語られていました。
かっこいいですよね。
升田幸三賞は藤井システムだけじゃない!角交換四間飛車も
藤井猛と言えば藤井システムと言われるほど藤井システムのインパクトが強いのですが
実は藤井猛先生、藤井システム以外でも升田幸三賞を受賞しています。
それが何かというと、角交換四間飛車。
序盤でお互いの角を交換して、角を手に持った状態で
飛車を四間に振り、指していく戦法です。
実際には藤井猛先生が発明した訳ではありませんが
角交換四間飛車を採用し、広く将棋界に広めたということで二度目の升田幸三賞を受賞されました。
ちなみに千田翔太先生が二度目の升田幸三賞を受賞するまで、
升田幸三賞を二度受賞したのは藤井猛先生が初でした。
藤井猛 棋風
序盤、中盤、終盤で言えば圧倒的に「序盤型」
将棋には大きく分けて3つの場面があり「序盤、中盤、終盤」と言われています。
序盤は、初手~30手程の間で
定跡通りに指したり、相手の指す定跡を見て
作戦を決めたりすることが多いのですが
藤井猛先生は特にこの序盤から中盤にかけての研究に優れていると言われています。
一般的には中盤から終盤にかけて力を入れ研究をされるプロ棋士の先生が多く
特に昭和の時代は、序盤は雑談をしながら定跡に沿って指すような牧歌的な雰囲気だったようですが
藤井猛先生はあえて序盤、中盤への研究に重きを置きました。
この理由について、藤井猛先生は主に二つの理由を挙げています。
一つ目は、終盤が苦手で自分が手が浮かぶような感覚がないから序盤でリードしないといけない
という自覚を持たれているということ。
第一感があり、局面を見ただけで手が浮かぶような「感覚的」な先生も多い中
藤井猛先生は自分にはその能力がなく、3つ程候補になりそうな手を挙げ、
その中で吟味した上で良さそうなものを指すスタイルだそうです。
なので限られた時間で終盤での寄せの精度や手の速さ勝負になった場合、分が悪くなるのは明らかな為
序盤、中盤のうちに大きくリードを奪って、そこから押し切らないといけないというのが理由だそうです。
…早指し戦で優勝するような先生が、直観がないとはにわかに信じ難いことではありますが。
そして二つ目。こちらの方が理由としては合理性がありそうなのですが
研究したものが盤面に表れる確率が圧倒的に高いのは序盤だから
ということ。
確かに中盤や終盤は研究したとしても、同じ局面になる確率はほぼ天文学的な確率と言っていいでしょう。
似たような局面は考えられ、それを応用する為に詰将棋等で実力を磨いていくのが
王道だとは思いますが
だったら同じ局面がより多く発生する確率が高い所の研究精度を上げ、そちらでリードした方がいいのではないか
と考えられたそうです。
よりシンプルな状況で、研究差でリードを奪っておく。先行逃げ切りの典型ですね。
ちなみに藤井猛先生は、研究の内訳を
序盤6、終盤1と表現されています。(週7日あったら序盤が6日、終盤が1日)
序盤研究の深さは研究時間にそのまま比例するようですね。
藤井猛先生の魅力の一つ…終盤の「ガジガジ流」、「ファンタ」
上記の通り序盤研究に時間をかけ、終盤研究はどちらかというと少な目の藤井猛先生。
その理由として
「終盤の勉強の仕方がわからない」
と語っておられました。(将棋世界2015年9月号より)
解決方法としては、対局数を増やすことでしか解消されない旨を語っておられました。
手が見えない、ということに対するアプローチ方法はなかなかに難しいようです。
そんな終盤に苦手意識を持ちがちな藤井猛先生ですが、
終盤になると大駒である飛車と角をバシバシと切り飛ばし、
相手玉に食らいついていくガジガジ流は有名ですね。
また、ガジガジ迫っていく一方で
手が見えなくなり、疑問手で局面を一気にひっくり返してしまう
「ファンタ」も有名です。
ファンタで有名な一局と言えばこちら。
丸山先生が「罠かもしれない…」と考え込む姿が笑いを誘いますね。
ただし、ファンタをしたから藤井猛先生が弱いかというと決してそうではなく
藤井猛先生はこのように時間に迫られると力が発揮出来ないと自身で認識しているからこそ
藤井システムのような序盤研究に重きを置かないと思いつかないような定跡を編み出せた訳です。
その意味では序盤研究の深さと終盤の苦手さは表裏一体です。
ちなみに余談ですが、将棋がダブルスのような分業制となり
序盤~50手までを藤井猛先生
50手~終局までを藤井聡太先生
と完全分業が可能になったとしたら
とんでもない棋譜が出来上がりそうです。
序盤に強い藤井、終盤に強い藤井。
どちらも私の中では大きな魅力となっています。
藤井猛 てんてー 鰻屋 ポケモン等のエピソード
将棋、将棋以外にまつわる藤井猛先生のエピソードをまとめました。
藤井猛×タピオカミルクティー
タピオカ新手からの伝説ですね。
丸山定跡で有名な丸山忠久先生と並び、将棋めし研究も第一人者です。
藤井猛×藤井聡太
ファン待望の共演。
振り飛車への勧誘にあっさり失敗してからの23分5秒~
藤井猛「はいじゃあ詰まして下さい」
の無茶ぶりに応える若かりし頃の藤井聡太先生(今でも十分に若いですが)
ちなみに無茶ぶりに応えようとこれだけの短時間で読み切って詰ましにいく藤井聡太先生ですが
しれっとやってますけどとんでもない神業です。
25分8秒~ 山口恵梨子先生のリアクションが全てを物語っています。
腐れ縁!?弟弟子、三浦弘行先生との絡み
M浦です~でも物凄く面白いのですが
結婚報告された時の藤井猛先生の三文芝居感がジワジワ笑いを誘います。
中村桃子先生が爆笑していますね。
ちなみにお互いが言いたいことを言い合ったりして、
年に1回のペースで三浦弘行先生とはケンカになるそうです。
ただ、それでもこうしてやっているのですから
気心の知れた兄弟弟子と言うことなのでしょう。
兄弟子でもある藤井猛先生がもう少し大人になっても良い気もしますが(笑)
職人肌、鰻屋
四間飛車についてはかなりの拘りを持っているようで、
四間飛車をエース戦法で指さない人が指すことを「ファミレス」と呼び
自分は四間飛車しか指さないことを「鰻屋」と呼んでいたりします。
ファミレスの鰻がいい味を出すことについてある程度認めているものの
鰻屋だからファミレスには負けられないと語り、四間飛車専門であることのプライドを滲ませています。
ただし、その後鰻屋も多角化が求められる等と矢倉の研究を進めたりもしていますので
根は職人肌であることが伺えますね。
本人も職人として見られていることに喜びを感じることをNumberの取材にて答えていました。
同業のプロ棋士、行方尚史先生からも
藤井先生程将棋について考えている人はいないと評されています。
羽生善治が語る藤井システムについて
将棋界のレジェンド、羽生善治先生は藤井システムについてこう評しています。
最初はふざけているのかと思いましたよ。でもそこに可能性があるとわかって、将棋の奥深さを感じましたね
三か月あれば対策は出来るけど、その三か月の間に藤井さん(猛)は新しい作戦を用意してくる
創造の99%は既にあるものの組み合わせですが、藤井システムは残りの1%です
とべた褒めされています。
そして、羽生善治先生も
本家藤井猛先生に極めて近い精度で、藤井システムを扱えることの出来る天才の一人。
ちなみに羽生善治先生だけでなく、2018年の棋士名鑑のアンケートであった
「登場したときに最もビックリした戦法」について
多くの棋士が藤井システムと答えています。
藤井てんてー!解説が面白い!
現在はタイトル戦をはじめ解説でもよくその姿を見るようになった藤井猛先生。
解説棋士として、木村一基先生と並ぶ人気を博しています。
軽妙なトークに面白い言い回しで、親しみを込めて
「藤井てんてー」
と呼ばれています。
職人肌な気質も持つ一方で、
前述したタピオカのように、見せ方を考えて表現するのも上手いのが藤井猛先生なんですよね。
裾野のファンを増やすというミッションも、藤井システムに負けないくらいの独創性で
頑張られています。
ポケモンマスター タケシ・フジイ!?
藤井猛先生には奥様と息子様がいらっしゃり
その息子様がポケモンカードゲームの強豪という縁もあり
息子様からの手ほどきを受け、ポケモンカードにハマッていきます。
そしてハイライトは
2019年のポケモンカード ミュウツーHR争奪戦
でしょう。
格闘ゲームのトッププレイヤー、ウメハラ選手や
人気youtuberはじめしゃちょー、
東大クイズ王の伊澤拓司さんなど
早々たるメンバーと共に参加した藤井猛先生。
一回戦でそのウメハラ選手を破ると
そのまま決勝まで進出し、原根選手を破ってなんと優勝。
等、将棋以外の頭脳ゲームも得意な方が多いプロ棋士の先生方ですが
そこに藤井猛先生も名を連ねることになりました。
本当に頭脳ゲームにおいては物凄い才能を発揮されるのがプロ棋士の先生たちの凄い所ですね。
藤井猛 著書紹介
藤井猛先生の著書を紹介します。
藤井猛全局数 竜王獲得まで
藤井猛全局集 竜王獲得まで
藤井猛竜王爆誕までの軌跡をまとめた一冊。
藤井猛全局数 竜王さん連覇とA級の激闘
藤井猛全局集 竜王三連覇とA級の激闘
初代藤井竜王()の全局が収められています。
最強藤井システム
最強藤井システム (プレミアムブックス版)
藤井システムについて書かれた一冊。藤井システム信者にとっては涙ものの逸品。
四間飛車を指しこなす本
四間飛車を指しこなす本 1 (最強将棋塾)
四間飛車の指し方について書かれた本です。
振り飛車の入門書!って感じの内容になっています。
まとめ
藤井猛先生の記事、いかがだったでしょうか。
藤井システムで有名なだけでなく、本当に沢山の魅力に溢れ
いるだけで私達将棋ファンに笑いを提供してくれる藤井猛先生。
勝負師、職人肌としての一面もありながら
お茶目で憎めない所も藤井猛先生の大きな魅力ですよね。
これからも藤井猛先生の更なるご活躍を応援し続けます。
ダン