深浦康市先生と言えば、藤井聡太先生に勝ち越している数少ない藤井キラーの棋士の一人でもあり
タイトルを複数獲得している、現在もトップ棋士の一人です。
将棋以外にもユーモア溢れる一面を見せてくれたり、将棋に対する厳しさを教えてくださったりと
人としても大変見本になる先生です。
今日はそんな深浦康市先生について記事を書きます。
どうぞ最後までごゆっくりとお読みくださいませ。
深浦康市 主な戦績
タイトルは王位を通算3期
深浦康市先生の主な戦績として挙げられるのはやはりタイトルでしょう。
これまでに王位を通算3期獲得されてます。
2007年の王位戦にて羽生善治先生を4-3のフルセットで破り、35歳にて初めてのタイトルを獲得します。
翌2008年、今度は挑戦者として再び眼前に来た羽生善治先生を4-3のフルセットで退け、防衛に成功。
そして2009年、今度は木村一基先生を挑戦者に迎え撃ちますが、こちらも4-3で退け三連覇を達成します。
2010年、三度羽生善治先生と対峙しますが、この時は0-3とストレートで敗れタイトル失冠となりました。
歴史に残る3連敗からの4連勝
三連覇を達成した2009年の木村一基先生との王位戦は、歴史に残る対局となりました。
第一局から挑戦者の木村先生が圧倒し、第三局を終えた時点で3勝0敗と王手をかけます。
一方の深浦康市先生は、開幕から3連敗。完全に後がなくなります。
翌第四局は、深浦康市先生の地元である長崎県佐世保市での対局。
前夜祭の時から
ここで深浦さんが一勝返したところで…焼け石に水だよな
と完全にお通夜状態だったと語っています。
しかし地元佐世保での一局を勝利で飾り、1勝3敗と一つ星を返すと息を吹き返した深浦康市先生
続く対局を全て勝利で飾り
タイトル戦史上2例目の3連敗からの4連勝にてタイトルを防衛することに成功しました。
木村一基先生も大変粘り強く、気持ちの強い先生なのですが
その木村先生からカド番に追い込まれてからの逆転は、並大抵の精神力ではありません。
深浦康市先生の気持ちの強さがよくわかる対局ですね。
この対局から10年後、今度は木村先生が豊島将之先生を4-3で破り
46歳にて初めてのタイトルを獲得されています。ちなみに46歳での初タイトルは歴代最長年齢となります。
そんな壮絶な対局を繰り広げた両者ですが、いわゆる遺恨のようなものは一切なく
一緒に飲みに行ったりするような仲だったそうです。
ただし、タイトル戦の後は仕事の関係もあって双方顔を合わせることもなくなり
約1年半ほどの間、深浦康市先生から木村先生に話すことが出来なかったそうです。
確かに勝利したとはいえ、気まずい状況ですよね。
しかしそれから10年の時が過ぎ、木村先生が念願の初タイトルを、それも因縁の残る王位戦で獲得したことは
深浦康市先生にとってもとても感慨深かったようで、戦友のような気持ちで対局を眺められていたようです。
そして木村先生がタイトルを取られた時は心の底から嬉しかったようですね。
王位戦には様々なドラマがあるなぁと感じているのですが、その1ページを彩っているのは深浦康市先生、そして木村先生であることは間違いありません。
一般棋戦
タイトル戦以外にも優勝経験があります。
以下、深浦康市先生が獲得されたタイトルとなります。
朝日オープン将棋選手権 1回
全日本プロトーナメント 1回
早指し将棋選手権 1回
早指し新鋭戦 4回
オールスター勝ち抜き戦5勝以上 1回
銀河戦 1回
NHK杯テレビ将棋トーナメント 1回
一般的に早指しと言われる、短時間での勝負にも強い深浦康市先生。
ABEMAトーナメントでも藤井聡太先生に勝っています。
タイトル3期、そして一般棋戦での優勝回数の多さから現在もトップ棋士の一人であることは間違いありません。
深浦康市の棋風
深浦康市先生は手厚い攻めと重厚な受けが特徴のバランスに優れた棋士と言われています。
居飛車で、角換わりや矢倉を指す機会が多いのですが、時折振り飛車を指すこともあるため羽生善治先生のように
居飛車、振り飛車どちらも指すことが出来るオールラウンダーに近い棋風と言えそうです。
最近の対局では棋士の間で指す機会がめっきり減った雁木を指すことも増えてきており
増田康宏先生と共に雁木の指す先生としての地位を築いていらっしゃいます。
そんな深浦康市先生の棋風を、羽生善治先生は積極的、アグレッシブと評しています。
唯一無二!?恋愛流
藤井猛先生の「ガジガジ流」、森内俊之先生の「鉄板流」等棋風に様々な異名が
つけられることがある昨今ですが、深浦康市先生の棋風はちょっと変わった「恋愛流」と呼ばれることがあります。
恋愛流のもとは、深浦康市先生の
と言う発言から来ているようです。
やはり将棋を一途に思う気持ちは、恋愛でも一緒なんでしょうか。深浦先生らしさを感じますね。
深浦康市の生い立ち~現在 甲斐智美に敗北!?
生い立ち~奨励会に入るまで
深浦康市先生は1972年に長崎県佐世保市で生まれます。
羽生世代の1つ下の世代と言うこともあり、羽生世代の棋士の先生方とプロ入り後は切磋琢磨されていくことになります。
将棋を始められたのは6歳の頃からで、内向的だったお父様から「友達を作るきっかけになれば」
という思いで手ほどきを受けたことから始まります。
曲がったことが大嫌いで、小学生の頃学校で将棋に講じていた際
ガキ大将的存在だったクラスメイトが助言をしたことで(※対局中の助言はマナー違反として慎むべき行動)
「アドバイスするな!」と激高し、深浦のくせに!と相手も応戦。取っ組み合いの喧嘩になったそうです。
好きなものに対する一途さは、この頃からだったのかもしれませんね。
その後奨励会に入るまでの期間、将棋部に入り一学年上の野田さんをライバルとして見立て
同じ将棋教室に通う等して特にタイトル獲得等もなく
12歳の時に、花村元司先生を師匠とし奨励会に入会致します。
タイトル経験者は、幼少期の頃から非凡な才能を発揮し地域の大会等で優勝することもあるのですが
ご多分に漏れず、深浦康市先生も長崎の大会で小学生名人になられたそうです。
奨励会入会後~プロ棋士になるまで
12歳で奨励会に入会した際、単身で長崎を離れ東京に上京することになりました。
埼玉県の大宮にいらっしゃった深浦康市先生のお母さまのご親戚のご自宅に、約3年間居候という形で身を寄せ
それからは何もない家賃約3万円のアパートを借り、埼玉県蕨市にて一人暮らしをされていたようです。
当時は中学校まで通い、高校に進学することは殆ど考えていなかったようでした。
得意科目は数学と理科だったようで、音楽も得意だったようです。
中学生の頃の深浦康市先生、6級で足踏みが続く頃、師匠の花村先生と喫茶店に入った際に
得意科目を聞かれ、音楽と答えると「いいね、将棋はリズム感が大事だから」と褒められたそうです。
そんな若かりし頃の深浦康市先生、奨励会時代は先を走る同世代の郷田真隆先生や屋敷伸之先生、丸山忠久先生の背中を追いかける日々だったそうです。
奨励会入会後約1年は入会した際の6級のままで足踏みが続きますが、そこからは順調に昇級・昇段を重ねていき
4年後には初段となります。
そして奨励会の三段に昇段し、三段リーグを戦う…と思いきや
昇段がリーグ開始に間に合わなかった為、約半年間対局がなくなってしまいます。
そこから三段リーグに参戦したもののやはり高い壁、4期を費やしても四段に昇段することは叶いませんでした。
深浦康市先生はご自身を分析して、
と言うことを仰っています。
奨励会三段リーグでも、安定して10勝はするが残りの3勝がなかなか出来ず(四段昇段の為には最低でも13勝、14勝がラインと言われている)、結果12勝で終わって昇段出来ない…
と言うことがあったようです。
サッカーがプロへの道を拓いた!?苦難の末の昇段
三段リーグに参戦した頃は対局3日前から先輩の遊びや食事の誘いも断り、
将棋にすべてを捧げ没頭する毎日だったようです。
一人暮らしを始めた頃から朝7時には起き、朝ごはんを食べてから9時~12時まで将棋の勉強。
昼食後昼寝をして、2時~夕食まで再び将棋の勉強。夕食後再び2~3時間将棋の勉強をして寝る。
と言う生活を送ってらっしゃり、負けると何もない自宅のアパートで将棋台を抱え、静かに涙されたそうです。
地方からプロになるために出てきたとはいえ、厳しい現実を多感な時期に受け止めるのは並大抵のことではありませんよね。
遊びのお誘いについては、手を出したら終わりと思っていたようでやらなかったようです。
ここでもやはり深浦康市先生の一途さが伺えますね。
そんな中でも昇段出来なかったことで、5期目を前に何かキッカケを探していた深浦康市先生。
たまたま地元埼玉のサッカークラブがチームメイトを募集していたことを雑誌で知ります。
社会人チームだったということもあり応募することに勇気が要り、
練習に参加された時もご自身が一番上手くなかったと回想されていますが
月に2、3回の練習は新しい風を吹き込むのに十分だったようで
5期目は見事三段リーグを二位で突破。見事念願のプロ棋士になりました。
四段昇段をチームメイトも祝って下さったようです。
プロ棋士後~順位戦
プロ入り後からすぐに頭角を現し、全日本プロトーナメントで
米永邦雄先生を3-2で破り、一般棋戦優勝を飾る等華々しくデビューを飾りますが
通算勝率7割近かった深浦康市先生でも、順位戦はなかなか昇級が叶わずC級2組に6期在籍します。
しかしご結婚を境にC級1組、B級2組と2年連続で昇級を果たし、以後はB級1組への昇級
そして2003年度には念願のA級昇段を果たし、現在に至るまで通算10期在籍を誇る強豪の棋士となっています。
2023年度はB級2組に所属し、対局を行っています。
甲斐智美女流五段に金星を献上
プロ入り後様々なエピソードをお持ちの深浦康市先生ですが、
その中の大きなエピソードの一つが女流棋士に金星を献上したことでしょう。
2013年、王位戦の予選にて甲斐智美先生に敗れ、A級の棋士が女流棋士に敗れる例としては
2003年に青野照市先生がNHK杯で中井広恵先生に敗れて以来2例目となりました。
もっとも、この結果を以て深浦先生が弱いとは断言出来ず
女流棋士の棋力が、男性棋士と比較しても決して大きく劣ることではないことを客観的に示す結果となりました。
事実、甲斐先生は女流棋士の先生の中でもトップレベルの棋力をお持ちの先生ですので
作戦次第では勝ち負けがひっくり返ることもありえるほど、実力が拮抗していると考えて良さそうです。
頭ハネエピソードは将棋界一
プロ入り後の深浦先生を語る上で避けて通れないのが頭ハネ(勝率が並んだ場合、前年の順位で優劣が決まる)を非常に多く味わっていることでしょう。
数えてみると通算5度の頭ハネ経験があり
C級2組で1回
B級2組で1回
A級で3回
となっております。
ちなみにそのうち3回は、みうみうこと三浦弘行先生が絡んでおり
三浦先生が昇級、降級を免れ、深浦康市先生が頭ハネ、降級と言う憂き目にあっています。
過去9勝1敗にて頭ハネを二度味わったのは順位戦の歴史の中でも深浦康市先生ただ一人。
このことについて深浦先生は
とこともなげに答えられていらっしゃいます。
試練は乗り越えられる人にしか来ない。深浦康市先生だからこそ乗り越えられる試練として、神様が与えたのかもしれませんね。
頭ハネに泣き、先崎学先生と飲み明かした夜
とはいうもののやはり悔しかったのか、C2級で頭ハネになった際は
先崎学先生と中野にあるおかまバーのような所に行き、朝まで飲み明かしたそうです。
折しもその日は阪神淡路大震災当日だったようですが、対局でその凄惨さをよく知らない二人は
明け方まで飲み、そして自宅に帰るとテレビでその惨状を知ることに。
関西の棋士(奨励会員)や関係者の方で連絡が取れないことを知ると
先崎先生は涙を流されたそうです。
深浦康市 地球代表 佐々木大地とのエピソードほか
趣味
深浦康市先生の趣味は、奨励会時代からやられていたサッカーで
日本将棋連盟サッカー部の部長も務められていました。
どちらかというとストライカータイプではなく、チャンスメイカーのようなタイプとのことです。
フットサルで張り切りすぎてしまい、右肩を脱臼してしまい
完治するまで左手で指していたこともあるそうです。
その他ゲームも好きで、特にドラクエが大好きとのこと。
対局の解説の際に、ドラクエを例に例えられることもあるようです。
ちなみにドラクエ好きが気になる
「ビアンカ・フローラ論争」
についてはフローラ派とのこと。
深浦康市先生は絶対にビアンカ派だと思っていたのに…
藤井聡太先生に勝率が良いのは…
藤井聡太先生に勝ち越しており、キラーとしても名高い深浦康市先生。
現役棋士どころか歴代最強の声すらある藤井聡太竜王に勝てる理由は何なのか?
深浦康市先生のことをご存じの方であれば、誰もが一度は浮かぶ疑問ですよね。
そのことについて、深浦康市先生はこちらの記事で理由を述べられています。
記事の中に書かれている理由を端的にまとめると
藤井聡太先生は確かに強い
強いからこそ、藤井聡太先生は最善手(一番良い手)を指し続ける
最善手を指し続けるから、研究の想定通り効率的に指し、かつ新手まで行きつく
想定通りに指せるから先に藤井聡太先生の時間がなくなり、スキが生まれる
そのスキを突いて勝つ
とのことでした。
つまり藤井聡太先生が強ければ強い程、研究の範囲の中での差し回しになるため対策がしやすく
そこから突然見たこともない手を指し、わずかに乱れたところを攻め入る
ということだそうです。
それを実現する為に一体どれだけの研究をされるんでしょうか。
これからも藤井キラーの名を名乗り続けて欲しいです。
地球代表の由来は羽生善治?
深浦康市先生のニックネームで代表的なものと言えば
地球代表
でしょう。
この由来はインターネットによるもので、当時あまりに強すぎる羽生善治先生のことを
将棋星人と揶揄し、将棋星人が地球に攻め入ってきた場合、誰が将棋星人を倒し、地球を守るのか
というネタから、羽生善治先生と対戦成績が良く、タイトル戦でも戦っていたことから
と言うことになったそうです。
実際、地球代表と呼ばれることについては深浦康市先生も満更ではない様子で
ABEMAトーナメントでも地球代表うちわを使用していましたし
と前向きなコメントをされていらっしゃいます。
実際に対局の時の気合や粘り強さについては、地球代表レベルと言っても過言ではないでしょう。
今では新将棋星人の名高い藤井聡太先生にも勝ち越しており、
地球代表の名に恥じぬ結果も残されていらっしゃいます。
これからも期待の若手の壁となって欲しいですね。
気合を入れすぎて…
対局の時の深浦康市先生の気合は相当なもので、対局中に自らの頬を張ったり
悪手を指してしまった際には鞄や自らの体を叩いたりとまさに闘魂溢れるという表現がピッタリです。
そんな深浦康市先生ですが、気合が空回りしてしまった例も。
対局に負けて帰宅し、お風呂に入った際悔しさのあまり壁を拳で殴ってしまったりすることもあるようで(痛かったので今は水面を殴りつけているようです)
高ぶる感情を先生なりに様々な方法で宥めているのかもしれません。
また、竜王戦では盤上に集中しすぎて無意識に額をひっかき、出血してしまったようで
絆創膏を貼った状態で対局をされています。
勝負所での気迫と集中力はやはり只者ではないですね。
奥様との馴れ初め話
深浦康市先生が奥様の義子様とご結婚されたのは1996年。
もともと風邪が悪化し、肝炎で入院されていた深浦康市先生を看病されていたのが看護師の奥様だったようです。
しかも奥様は深浦康市先生と同じく長崎県の出身。
入院されていた病院の院長先生と米長邦雄氏がゴルフ仲間だったことや
その病院では長崎出身の方を沢山採用されているなど
不思議な縁があったようです。
交際2か月で婚約し、そこから半年後にご結婚されていますが
いざご結婚を意識された際に、奥様のご両親が深浦康市先生が棋士であること、そして棋士という職業がご存じないことを知り
深浦康市先生は実に粋なアクションを起こします。
タイトル戦に奥様と奥様のご両親を招待
まさにご結婚するタイミングと、王位戦が重なったのを見て
深浦康市先生は奥様と奥様のご両親を佐賀県で行われた王位戦の対局場にご招待します。
深浦康市先生の対局時の堂々とした振る舞いを見て頂くことで一気に深浦ファンとなったご両親。
最高のアピールをした後日、深浦ファンとなったご両親から
「本当にウチの娘でいいんですか!?」
とご連絡があったそうです。
深浦康市先生らしい、まっすぐなアプローチは作戦通りだったのでしょうか。
棋士らしく、やはり勝負事は強いですね。
深浦康市先生の奥様への愛情は相当なもので、大きな対局が近づいてきても
そばにいてくれるだけで安心
と絶対的な信頼を寄せられています。
また、実力者であるにも関わらず第四回ABEMAトーナメントで結果が伴わなかった時期があり
ファンにとっても先生にとっても辛かったのですが、
対局前日に奥様から頂いたパワーストーンを抱いて寝たという惚気?エピソードを披露すると爆笑に包まれましたが、
効果はてきめん。
それまで未勝利が続いていたにも関わらず、パワーストーンの力で
最強藤井聡太先生から勝利をもぎ取ることに成功したのです。
奥様の支える力と、深浦康市先生のまっすぐな姿勢。本当にお似合いですね。
羽生善治は羽生善治だった
奥様と奥様のご両親をタイトル戦にご招待したこともあり
結婚前後はまさにタイトル戦と同時並行だった深浦康市先生。
兄弟子である森下卓先生が、深浦康市先生とタイトル戦を戦う羽生善治先生に対し
と告げたようですが、羽生善治先生はどこ吹く風で当時の深浦先生を完封。
4勝1敗で王位戦を防衛されています。
当時七冠達成後、三浦弘行先生に棋聖を奪われた羽生善治六冠。
簡単においそれとタイトルを明け渡すことは出来なかったことも勿論、
いくらおめでたいことが控えているとはいえ、真剣勝負の場で手を抜くことは微塵も考えられなかったことでしょう。
お手柔らかにの件を後日森下先生が羽生先生に話をすると
とのこと。
将棋界のレジェンドは、盤外でも先輩既婚者?としての貫禄を見せつけたのでした…
弟子・佐々木大地七段への深い愛情
深浦康市先生が長崎県という地方出身だったこともあってか
弟子は九州を中心に地方出身者が多く、東京や関東出身の人はいません。
理由としては、深浦康市先生が
地方の方に手を差し伸べて貰い、チャンスを貰って師匠である花村先生に橋渡しをして貰ったから
と言うところが挙げられます。
その恩は今でも意気に感じているようで、
出来るだけ地方出身者の中から弟子を取ろうと考えられていらっしゃるようです。
そんな深浦康市先生の一番弟子と言えば、同じく長崎県対馬市出身の佐々木大地先生でしょう。
初めて深浦康市先生と佐々木先生が出会ったのは2006年の福岡空港。
当時拡張型心筋症を患っていた11歳の佐々木大地先生は、鼻に酸素マスクをつけた姿で深浦先生とお会いします。
佐々木大地先生のお父様から病状やプロ棋士になる為の思いを聞いた深浦康市先生。
一旦兄弟子の森下卓先生に相談されますが、
ご家族総出で対馬から関東に移り住むこと、病気により何か起きても全て責任を持つという
佐々木大地先生のご家族の熱い思いに心を動かされ、佐々木先生を弟子として取ることを決められたのでした。
佐々木大地先生が奨励会二段からあわや初段に降段という窮地に立たされた時、
深浦康市先生は将棋を指そうと佐々木大地先生を誘います。
深浦康市先生の指導後佐々木大地先生は息を吹き返し、8連勝で三段昇段を決めます。
奨励会入会から5年。佐々木大地先生、17歳の時でした。
そして三段リーグにて、二度の次点を取り、フリークラスでのプロ入りの権利を手にした佐々木大地先生。
ただし、フリークラスでのプロ入りについては懐疑的な見方をする先生方がいらっしゃるのも事実です。
有名な所で言えば、元名人でもある佐藤天彦先生。
昇段を蹴り三段リーグ残留という道を選ばれ、無事プロ棋士になっています。
勝負ごとにシビアな深浦康市先生。フリークラスでの佐々木大地先生のプロ入りを良しとしないのではないか…
そう考えた兄弟子の森下卓先生は、深浦康市先生に連絡を取り佐々木大地先生のプロ入りを嘆願します。
深浦康市先生から返ってきた答えは…
とのこと。
実際の所深浦康市先生は違う環境に身を置き、フリークラスとはいえプロになると
一局何十万と対局料を貰える環境の方が良いと判断していたのです。
その一方で、佐々木大地先生も
師匠がもう一度三段リーグで、と言えばそのつもりでいた
と語っており、佐々木大地先生のお父様も
師匠が言うことは全て従わせようと思っていた。大地が必ず四段になれると信じていたから
と語っておられます。
深浦康市先生と佐々木大地先生、そしてご家族との絆の深さがわかるエピソードですね。
佐々木大地先生は師匠である深浦康市先生の期待に応え、デビューから10か月で規定の対局数・勝利を挙げてC級2組に参加することになります。
フリークラスの1期抜けは、佐々木大地先生が史上初です。
ABEMA師弟トーナメントでも佐々木大地先生の指し手に目を細められていた深浦康市先生。
弟子の恩返し?だったら羽生さんに勝ってよ
と言う独特の表現で毒づく深浦先生ですが、弟子の佐々木大地先生には並々ならぬ愛情を感じますね。
実際に、奨励会時代の佐々木先生に万が一のことがあって倒れたりでもしたら
ご家族ではなく、深浦康市先生が駆け付けようと思っていたようです。
愛情がなければこんなことは出来ませんよね。
深浦康市 著書紹介
深浦康市先生の著書紹介です。
深浦康市の振り飛車なんて怖くない
深浦康市の振り飛車なんてこわくない (NHK将棋シリーズ)
振り飛車相手にどう立ち向かうかを綴ったこの一冊。
振り飛車に苦戦している人は必読ですね。
斬り合いで勝つ! 深浦の居飛車穴熊
斬り合いで勝つ! 深浦の居飛車穴熊 (マイナビ将棋BOOKS)
振り飛車の天敵となる居飛車穴熊。
手筋だけでなく、時には頬を張りながら気合を入れて指せばもう振り飛車は怖くない!?
まとめ
深浦康市先生の記事、いかがでしたでしょうか。
若い頃はみんな努力するが、30を過ぎても深浦康市先生程努力出来る棋士はそういないと言わしめる程、
努力と溢れるガッツで現在もトップ棋士に居続ける深浦先生。
対局の際の気合溢れる表情や、解説の時のユーモア溢れるコメント等、本当に魅力溢れる先生だと思います。
THE 九州男児!って感じがしますよね。
これからも地球代表として、羽生善治先生や藤井聡太竜王のような将棋星人から地球を守ってくれることを願い
深浦康市先生を応援し続けたいと思います。
ダン
コメント
コメント一覧 (3件)
[…] 大橋貴洸先生の他、地球代表深浦康市先生の二人のみで、 […]
[…] 佐々木大地先生の対局の際は、師匠であり監督でもある深浦康市先生が […]
[…] 代表的な所で言うと木村一基先生や深浦康市先生、佐々木大地先生と研究をされる機会が多いようですが […]