加藤一二三 若い頃の伝説と現在の藤井聡太

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加藤一二三 若い頃の伝説と現在の藤井聡太

今回の記事でお伝えしたいこと

加藤一二三先生の若い頃の伝説について

加藤一二三先生の実績と現在、エピソードについて

加藤一二三先生と現在最強の藤井聡太先生の共通点について

加藤一二三先生はひふみんの愛称で知られ、将棋ファンだけでなく

将棋を知らない層にもファンがいらっしゃる、元棋士の一人です。

お年も2023年8月現在で83歳ではありますが、Twitterを通じて元気な用紙が伝わってまいります。

今回はそんな加藤一二三先生に関する記事を作成いたしました。

是非最後までごゆっくりご覧くださいませ。

目次

加藤一二三先生の若い頃の写真や伝説

加藤一二三先生の若い頃の伝説などについてお伝えします。

加藤一二三先生のお若い頃の写真

今でこそ愛嬌のあるいで立ちで人気のある加藤一二三先生ですが、

お若い頃の写真を見るととんでもなくイケメンであることがわかります。

ダン

菅田将暉さんに似ていてとってもイケメンですね。これで将棋が強いと来たら、きっと女性人気も凄かったでしょうね。

神武以来の天才 初の中学生棋士

現在破竹の勢いで記録を塗り替えられている将棋界の第一人者、藤井聡太先生ですが

その「天才棋士」の系譜を辿っていくと、その宗家?にあたるのが加藤一二三先生となります。

現在で5人しかいない中学生棋士ですが、

そのうちの1人にして初の中学生棋士が加藤一二三先生。

(以下谷川浩司先生羽生善治先生渡辺明先生、藤井聡太先生)

藤井聡太先生が14歳2か月で更新するまでの62年間に渡り、14歳7か月でのプロ棋士という記録は更新されませんでした。

そのことからして、加藤一二三先生は

神武以来(じんむこのかた)の天才

と呼ばれていました。

ダン

ちなみに神武とは、初代天皇にあたる神武天皇のこと。神武天皇に並ぶほどの天才って…凄いですよね。

藤井聡太先生でも破れなかった記録

また、藤井聡太先生はプロデビュー後から数々の記録を打ち立ててきていますが

その藤井聡太先生をもってしても破れなかった記録があります。

それが加藤一二三先生の持つ18歳1か月の最年少A級昇級記録です。

ダン

藤井聡太先生がA級に昇級したのは19歳7か月だから…それより1年以上も早くA級になっていたということになりますね。

しかも加藤一二三先生の更に凄い所は、

順位戦初参加から4期連続で昇級し、ストレートでC級2組からA級へ昇級していること

これは過去に加藤一二三先生と、中原誠先生の2人しか達成していない偉大な記録でもあります。

ダン

藤井聡太先生はC級1組で一度頭ハネの憂き目にあっているから、1期足踏みの時期があるんだ。

更に、先日藤井聡太先生が最年少名人記録を更新しましたが

加藤一二三先生は、藤井聡太先生でも破れなかった

最年少名人挑戦記録(20歳3か月)

も持っています。

奨励会を経て、プロ棋士になる年齢が20歳でもおかしくない年齢なのに…

加藤一二三先生がお若い頃の勢い、棋力は、決して藤井聡太先生に引けを取らなかったことが伺えますね。

師匠を逆破門!?

加藤一二三先生の師匠は故・南口繋一先生ですが、

南口先生が1995年に亡くなられた後に連盟に申し出て剱持松二門下に変更しました。

加藤先生いわく

奨励会に入る時に加藤先生の親が決めたことで、師匠にも一切世話になっておらず、師弟関係は無効である。

またそれにより、妻や妻の親族にまで長年に渡り不愉快で不名誉な思いをさせてきた。

とのことですが、南口先生が加藤先生を可愛がりすぎたことで

南口先生のご家族が加藤先生に良い顔をしなかったのではないか、という説があるようです。

ダン

真相は闇の中ですね…師匠を逆破門という行為そのものが前代未聞ですが、師匠が亡くなられてからであることを考えると、それまではそこまで大きなトラブルはなかったのではないかと考えるのが妥当な気もします。

ちなみに加藤一二三先生の弟弟子には、あのお騒がせ橋本崇戴先生がいます。

加藤一二三先生の現在と棋士としての成績

加藤一二三先生の現在とこれまでの歩みについてご紹介します。

現在は棋士を引退し普及活動やメディアでのコメントに尽力

加藤一二三先生の現在ですが、83歳という年齢でなお将棋に対する情熱は冷めることがなく

定期的に将棋のイベント等に参加されている様子がTwitterで流れてきます。

加藤一二三先生のTwitterアカウントはこちら。

また、現在はワタナベエンターテインメントにも所属しており、メディアなどでも時々出演されては

ひふみん節を炸裂されています。

ダン

本当に年齢を感じさせないですよね。これからも加藤先生にはずっとお元気でいらっしゃって欲しいです。

また、趣味のサッカー観戦もされているようで

2022年のカタールW杯は、夜中という放送時間にも関わらず日本代表の試合をご覧になられている様子が

Twitter上で見られました。

加藤先生、やっぱりお元気だ。

将棋を始められたきっかけ~プロ入りまで

加藤一二三先生が将棋を始められたきっかけは幼稚園の頃で、

近所の子どもが指しているのを見て覚えたことがきっかけだそうです。

そこからは周囲に敵がいなくなり、飽きて将棋からも離れていた所

小学四年生の頃に朝日新聞で将棋観戦記を読み、感銘を受け

これは天運で招かれている。必ず棋士になれる。

と決意後、お母さまの強い勧めで夏休みの約40日間、集中的に将棋に打ち込んだことが

当時の最年少プロ棋士加藤一二三を作る礎となったそうです。

小学校5年生の頃奨励会に3級で入会。

師匠である南口先生がお住まいの京都に福岡から引っ越し、高校卒業まで内弟子として過ごされたようです。

そして先述の通り14歳にてプロ棋士となり、4年連続昇級で18歳にして一気にA級に駆け上がります。

プロ入り後のタイトル数

プロ入り後20歳で名人挑戦となり、結果獲得はなりませんでしたが

その後も4回タイトル戦に挑戦し4回とも跳ね返されてしまいます。

ダン

ちなみに5回ともお相手は大名人である大山康晴先生…タイトルが現在より少なくて、絶対的存在の方ですからそれは苦戦しますよね…木村一基先生を連想してしまいます。

しかし6回目の挑戦にして、遂に十段戦(現在の竜王戦の前身)にて大山康晴先生を破り

29歳にて初めてのタイトルを獲得したのでした。

その後タイトル戦には24回出場、通算8期のタイトルを獲得し、憧れの名人位も獲得され

歴代10位タイの記録を残されています。

その他一般棋戦でも23回の優勝を誇るなど大山時代、中原時代と言われる絶対的存在や

升田幸三と言う稀有な棋士がいた時代の中で

加藤一二三先生のこの成績は素晴らしいの一言に尽きます。

加藤一二三先生の棋風

加藤一二三先生の棋風として代表的なのが「棒銀」でしょう。

矢倉で王様を囲って、右銀を使って相手の陣地にどんどん侵入していって、

香車や桂馬と銀を交換してから竜を作って…

将棋の初心者がまず覚えて指すことの多い棒銀の使い手と言えば加藤一二三先生でした。

ダン

ちなみに藤井聡太先生も将棋覚えたての頃は棒銀を指していたよ。ダンも将棋を覚えたての頃は沢山指したし、現在も時々棒銀で指すよ。

棒銀以外にも勝率が高くなりそうな流行りの戦法はいつの時代も出るのですが、それには目もくれず

黙々と棒銀を極める。職人ですね。加藤先生。

そしてもう一つが矢倉でしょう。

矢倉は将棋における純文学である。

という加藤先生の信念に基づき、矢倉で玉を囲い、棒銀で攻める。

このシンプルゆえ奥が深い戦法、随所で加藤先生の工夫した差し回しがたくさん棋譜として残っています。

加藤一二三先生の主な記録

タイトル以外であまり日の目を見ない、加藤一二三先生の隠れた記録をざっと紹介します。

最高齢現役(77歳5か月)

最高齢勝利(77歳0か月)

最高齢対局(77歳5か月)

年長者側の最多年齢差勝利(58歳5か月)

最多年齢差対局(62歳6か月、2016年12月24日 藤井聡太戦)

最長現役勤続年数(62年10か月)

最多対局数(2,505局)

最多敗戦数(1,180敗)

最年少五段(15歳3か月)

最年少A級(18歳3か月)

最年少名人挑戦(20歳3か月)

最年少王将戦リーグ入り(16歳)

A級まで、4期連続で最短昇級

A級順位戦最多勝利(149勝)

A級順位戦最多対局(313局)

順位戦最多出場(62期)

19世紀生まれ・20世紀生まれ・21世紀生まれの棋士と公式戦で対局(史上唯一)

62歳A級(大山康晴に次ぐ史上2位)

名人・A級通算在位36期(大山康晴に次ぐ史上2位)

やー、これだけでも凄い沢山あり圧倒されますね…

藤井聡太先生は果たしてこの記録を幾つ更新出来るんでしょうか。楽しみですね。

ダン

特筆すべきは現役年数と通算対局、そして通算敗北数だね。息が長いなんてもんじゃないし、対局数はそれだけ力を維持しないと出せない記録…みんなが加藤一二三先生に一目置く理由も納得です。

加藤一二三先生のエピソード

今回の記事のメインディッシュですね(笑)出来るだけ沢山紹介します。

将棋界随一の健啖家(大食い)

加藤先生の名前を聞いて真っ先に思い浮かぶエピソードが健啖家である点を思い浮かべる人も多いでしょう。

丸山忠久先生や田村康介先生など、並み居る健啖家の先生を圧倒するだけのエピソードがありますね。

ザッと紹介すると

1981年の十段戦(現竜王戦)でライバルの米長邦雄先生とみかん対決、みかん対決に勝利した加藤先生が対局でも勝利 記録係の方が「部屋の中がみかん臭くて死にそうです」と音を上げる

中原誠先生とタイトル戦のおやつにケーキ3つ注文、てっきり自分の分と記録係の分まで気遣いを…と感心した中原先生、ところが加藤先生が注文したケーキ3つを一人でペロリ

谷川先生との順位戦に至っては、頼んだ天ぷら定食の天ぷらを残してでも、栄養補給の為にケーキ5つ頼み食べる(加藤先生50代の頃)

なべ焼きうどんとざるそば、カキフライ定食とチキン南蛮定食、なべ焼きうどんとおにぎり6つなど二刀流食いエピソードは数知れず

おやつに板チョコ10枚食べる、ある時には板チョコを食べる加藤先生を見かねた米長先生、「俺にも分けてくれ」と言われ仲良く二人でチョコを食べる

藤井聡太先生のデビュー戦で対局中にカマンベールチーズを食べる、藤井先生が「対局中にチーズを召し上がられる方は初めてで新手筋かと思った」と仰天

対局中に十房以上のバナナをもがずに食べる

王位戦の昼食にすしとトマトジュース、オレンジジュース、ホットミルク、天ざるを注文、3時のおやつにメロンとスイカ、ホットミルク3杯にケーキ、桃を注文

対局中の食事で有名なのはうな重、いつもポケットにはうな重代の2100円が2セット用意されていた

立会人を務めた際千日手になる可能性が出てきて夕食の準備を心配する関係者に「食事は簡単に食べられるうな重あたりがよろしいのでは」と言い放つ(簡単に食べられるうな重とは?)

魔法瓶2本にいっぱい入ったカルピスを、一気に飲み干す

なべ焼きうどんとおにぎり9個を用意して対局、対局前に並べたおにぎり9個が対局中に胃袋に消える。「おにぎりはもともと戦の食べ物。夜戦に備えて注文しました」

順位戦で夜の9時半を過ぎ、勝負所で時間が無くなっていく中1分間にみかんを3つ平らげ、対局者の羽生善治先生を笑わせることに成功

などなど、挙げだしたらキリがありません。

ダン

なんというか…将棋めしの高祖みたいな存在ですね、加藤先生。

ただし、対局に集中して食事が喉を通らなくなる先生も多いのに対し

加藤先生のように、局面関係なく食事を楽しまれることが出来るのも才能の一つだと個人的には思います。

アスリートと同様プロ棋士もやはり身体が資本で、

健啖家の先生の方が根本の体力や馬力がありそうなイメージです。

ダン

加藤先生が80歳を超えてなお元気なのは、年齢に負けないくらい食事を召し上がることが出来る=内臓がお元気ということなのでしょう。

ロングネクタイはゲン担ぎ!?

加藤先生のエピソードで代表的なもののひとつとして長く結ばれたネクタイが挙げられます。

通常ネクタイはベルトの位置あたりを起点に結ぶことが多いのですが

加藤先生はネクタイが長く、対局中はネクタイが畳についてしまうほどです。

これには理由があり、長いネクタイを結んで対局をした所いつも以上に対局に集中することが出来たからだそうで

そこからはネクタイを長く結び、それでバランスを取っている趣旨のことを語られていました。

ダン

勝負の世界で生きているんだから、ゲンだって担ぎますよね。

相手側から見ることで勝ち筋が見える?ひふみんアイ

将棋は相手がいて成り立つゲームですが、基本的に対局が始まると盤を挟んで相手と向き合い、

途中休憩や離席などはあるもののそのまま終局を迎えることが殆どです。

しかしさすがは加藤先生。

なんと相手側から盤面を見て、相手側からの盤面の景色から有力な手はないか探します。

そして見えた手が妙手となりました。

これが俗にいうひふみんアイ。相手側の盤面から善手を探します。

ダン

基本的には相手側が離席したタイミングで眺めるのは良いだろうけど、相手が着席している時に背中からのぞき込むように見るのはマナー的にあまりよくないよね。

猫好きが高じて

猫が好きで有名な加藤先生。

しかし猫好きが仇となり、ご自宅周辺の猫に餌付けをするなどし、近隣住民と糞尿のトラブルにより

訴訟を起こされ、敗訴しています。

加藤先生自体は猫が増えないよう去勢手術の費用等もポケットマネーで出したりしていたようですが…

ダン

猫を隠れ蓑にしたいじめだ!と加藤先生は憤っておられたようですが…将棋同様決められたルールについては従わざるを得ないですよね。

敬虔なクリスチャン パウロ

加藤先生は1970年に教会で洗礼を受け、現在も敬虔なクリスチャンとして有名です。

当時のローマ教皇から騎士団の勲章も拝受されており、棋士と騎士二つの顔を持つことに。

ダン

同様の理由から、神様という表現に特別な思いがあり、先生の異名である「一分将棋の神様」という表現については一分将棋の達人など表現を変えて欲しい旨も語られているよ。

滝の水を止めて!

タイトル戦の会場がホテルや旅館となることも多い将棋。

対局前日に会場に入り、検分(部屋の温度や照明、音などが対局中支障とならないか確認する作業)するのが一般的ですが

ここでも加藤先生、検分の際に人工の滝の音が対局の妨げになる可能性があるとして

滝を止めて下さい

とリクエストをしたことが数度。

ダン

特に音を中心とした対局の環境には気を遣っていたみたいですね。対局以外以前に、寝不足になってしまい力を発揮出来なくなるかもしれないなどの理由もあったみたいだよ。そこはやはり勝負師、憂いを丹念に潰していくのは流石ですね。

ちなみに滝を止めた対局は勝率がよくないようで、3局して3敗のようです。

部屋を替えて貰う作戦は好調で、こちらは全勝だそうです。

滝を止める定跡は加藤一二三先生だけでなく、過去に羽生善治先生もやったそうで

対局場で加藤先生が人工滝を止める話を対局場の方から説明を受けた際

羽生先生も滝を止めるよう依頼したそうです。

ダン

そのうち藤井聡太先生も新しい検分定跡や手筋を開発するんでしょうか?

エアコンの温度対決

1993年夏のプロトーナメントで、三浦弘行先生と対局をされた時のこと。

対局室に30分前に入り24度に冷房を設定するルーティンの加藤先生。

いつものようにエアコンの温度を24度にします。

ところが相手の三浦先生は当時風邪をひいており、加藤先生が下げたエアコンの温度を

体調不良の三浦先生が戻すという一進一退の攻防に。

ダン

ちなみに三浦先生は悪意があった訳ではなく、盤面に集中していて何度も加藤先生がエアコンの温度を下げに行った様子に全く気付いてなかったようだよ。それも凄い集中力だね…

結果、対局は三浦先生の勝利。

対局後憤然とした表情で連盟の事務所に向かい、職員さんを捕まえてことの顛末をグアーッとまくしたてる加藤先生でした…

名人を差し置き上座に座る

1984年、十段戦(現竜王戦)の挑戦者決定リーグでのこと。

当時名人であった谷川浩司先生と加藤一二三先生の対局の中で、

先に入室していた加藤先生が上座に着座し、後から入室した谷川名人を下座に座らせるという事件が起きました。

谷川先生は、名人が上座に座るものという認識があり

これはおかしい。とお手洗いで頭に上った血を鎮めようとします。

そして初手に10分かけるなど落ち着いて将棋を指すように心がけた谷川名人の勝利、という一局となりました。

ダン

ただし加藤先生の言い分としては、加藤先生は十段のタイトル経験があるが谷川先生は名人でこそあれ十段経験がないので、自分が上座と思ったということみたいだよ。

将棋で定期的に話題になるこの上座下座問題。マナーの一言で片づけず、どちらが上座・下座に座るか対局前にアナウンスするだけでこのようなトラブルはほとんど解決しそうなんですがねぇ…

天才羽生善治先生との関係

加藤先生と羽生善治先生の間柄は切っても切れないでしょう。

羽生善治先生の伝説の5二銀を打ち込まれた張本人が加藤一二三先生だからです。

(5二銀のシーンは12分28秒あたりから)

また、解説者としての加藤先生と羽生先生との神々の会話も見ものです。

この対局は故真部一男先生が羽生善治先生を破った一局なのですが、

感想戦(30分48秒あたりから)で真部先生の「これは危ないねえ」に対し、

「いやこれ詰んでるんで!」と被せる加藤先生、「んん!?」と応える真部先生が秀逸です。

そして終わり際に詰み筋を逃したことに悔しそうな表情を浮かべる若き頃の羽生善治先生。

ダン

世代は違っても盤面に向き合って会話する姿がお二方とも本当に楽しそうなんですよね。神々の遊びって表現、これほどピッタリなのもないよね…

加藤一二三先生の著書紹介

加藤一二三先生の著書を紹介します。

天才棋士 加藤一二三 挑み続ける人生


天才棋士 加藤一二三 挑み続ける人生

プロ棋士として加藤一二三先生が挑み続ける理由や歩みが書かれています。

天才の考え方 藤井聡太とは何者か?


天才の考え方 藤井聡太とは何者か?

天才棋士の一人でもある渡辺明先生と語る藤井聡太先生について。

ダン

天才棋士2人が天才棋士1人を語る…天才棋士のバーゲンセールみたいですね…

求道心 誰も語れない将棋天才列伝


求道心 誰も語れない将棋天才列伝 (SB新書)

これでもか、と加藤一二三先生の天才エピソードを盛り込みまくるのが定跡なんでしょうか?

こちらも天才羽生善治先生推薦の一冊となっています。

ダン

無人島に何を持って行くか?の質問に加藤一二三先生と答えた羽生善治先生ですからね。実は加藤先生のファンです。

まとめ

最後までお読み下さりありがとうございました。

今回の記事でお伝えしたかったこと

加藤一二三先生は将棋史に残る記録を多数残す偉大な棋士

ユニークなエピソードが多数あるのは、それだけ加藤一二三先生が勝負に没頭したから

天才棋士の創始者であり、その系譜を藤井聡太先生が今受け継いでいる

加藤先生が若かりし頃切り開いた道が、着々と時代の天才棋士により受け継がれ

今藤井聡太先生がそれを受け継いでいると思うと感慨深いですよね。

第一線は退かれましたが、これからも加藤一二三先生のご健康とご活躍を

全力で祈願します。

ダン

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