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佐藤康光 いろは坂等エピソードが独創的

佐藤康光 いろは坂等エピソードが独創的

今回の記事でお伝えしたいこと

佐藤康光先生のこれまでの戦績について

佐藤康光先生のエピソードについて

佐藤康光先生の生い立ちなど

遂にと言うべきか、ようやくと言うべきか、ともかく佐藤康光先生の記事を書くこととなりました。

エピソードの多さで言えば、棋士会屈指ではないでしょうか。

他の先生方の紹介とは少しテイストが変わってしまうかもしれませんが

佐藤康光先生の魅力を最大限御伝え出来るような記事にしたいと思います。

それでは今回もどうぞ最後までごゆっくりとお読み下さいませ。

佐藤康光 いろは坂事件等のエピソード

伝説のいろは坂事件

佐藤康光先生を語る上で欠かせないのがこのいろは坂事件でしょう。

いろは坂は栃木県日光市にある、高低差440mを誇る名所となっている坂です。

日光の観光サイトでも紹介されているようですね。

日光旅ナビ

ここで何が起きたのかという話なのですが、

あの羽生善治先生が前人未到の七冠王に挑戦し、王将戦を戦っていた時に遡ります。

免許を取りたてだった佐藤康光先生、※島研メンバーの森内俊之先生

(※島朗先生主催、佐藤康光先生、羽生善治先生、森内俊之先生らが所属していた伝説の研究会。)

に声をかけ、

羽生先生が挑戦する王将戦を見に日光へ行こうよ。

と提案します。

ちなみに王将戦は冬真っ盛りの時期に行われるのが恒例で、勿論この時も冬の対局。

日光中禅寺湖で対局が行われていたこともあり、冬の凍結したいろは坂を走破する必要があったのですが

1億と3手先を読む独創的な佐藤康光先生が指した手は、

冬用タイヤもチェーンも用意せず、ノーマルタイヤでいろは坂を上る

という鬼手。

これにはさすがに不安を覚えたのか、同行する森内俊之先生も

「車を日光駅に置いて、バスかタクシーで会場入りした方が良いのでは?」

と流石の鉄板流の一手で佐藤康光先生の鬼手を重厚に受け止め、咎めに行きます。

しかし佐藤康光先生は流石剛腕、

大丈夫大丈夫。

と尚も攻めの姿勢を崩さず、森内玉に迫ります。

一進一退の攻防の末、何とか佐藤康光先生の攻めを受け切った森内俊之先生、

愛車である若葉マークのついたシルバーの三菱FTOを日光駅に置き、バスで対局場に向かうことに成功します。

しかし皆さんご存じの通り、遠足とは家に着くまでのことを指します。

王将戦の対局が終わり、15時過ぎに谷川先生の79手で勝利に終わると

その日のうちに自宅に帰るという羽生先生を誘い、そのまま日光から

佐藤康光先生運転の車で帰京することになります。

 

高速道路の運転と言うこともあったのでしょうが、周囲の車の速度に圧倒され、車線内をウロウロ。

佐藤康光先生らしくない弱気の手が続きます。

それに気づいた羽生善治先生、

佐藤先生、高速道路の運転は初めてじゃないですよね?

 

と森内先生に続き先手を打ちに行きますが、剛腕佐藤先生から返ってきたのは恐るべき一手。

 

高速道路どころか、夜の運転自体初めて…

 

東北自動車道の3車線の真ん中に陣取り、中住まいのような状態で走る佐藤康光先生。

左右から佐藤玉を包むように囲むトラック。後ろからは尻金のように後続車が攻めてくる。

車内で楽しく喋っていた島研の3名。いや将来の名人経験者。

佐藤康光先生の読みを外す一手に、流石の名人、将来の名人も手が見えず佐藤康光先生に手を渡す。

無言で行く末を見守り、羽生善治先生のご自宅に着く頃にはお通夜のような雰囲気だったようです。

ダン

流石にこの手は読み抜けとかじゃなくて、読めないでしょう…詰みを回避した名人経験者3名、やはり運も持っていたのでしょうか…

以後羽生善治先生は、佐藤康光先生の車にお乗りになることはないようです。

ダン

ちなみに羽生善治先生は車の運転はされないみたいだよ。羽生善治先生に限らず、車を運転しない棋士の先生って結構多くて、運転中に将棋のことを考えてしまうと怖いからが理由みたいだね。

ちなみにこの時羽生善治先生の対局相手だった谷川浩司先生は、直前で阪神大震災にて被災されたこともあり

対局終了後、車で帰る3名に対し「どうぞ道中お気をつけて」とお声がけまでされていたみたいだよ。

谷川先生だけは、佐藤康光先生の鬼手を読んでいたのでしょうか…谷川先生の慧眼、恐るべし…

大先輩 米長邦雄に説教

2007年のこと。

将棋ソフトがまさに棋士を実力で上回らんとする時代の真っただ中、

当時将棋連盟の会長であった米長邦雄先生、棋界を盛り上げる為に一役買ってもらおうと

当時棋聖だった佐藤康光先生に将棋ソフトとの対局を打診します。

ところが佐藤康光先生から返ってきた返答は、固くお断りします。とのこと。

そのままハイそうですか、と引き下がれない米長先生、佐藤康光先生を幻惑する一手を放ちます。

「負けた所で恥になるわけでもないし、しょせん遊び。機械相手に数時間指してくれれば、1000万以上の収入になるんやで。」

 

これを聞きスイッチが入ってしまった佐藤康光先生、血相を変えて米長玉に迫ります。

米長先生、そこに正座してください!プロが将棋を指すことに遊びということがありますか!先生はそんな気持ちで将棋を指していたんですか!

 

結果、当時竜王であった渡辺明先生が対局相手を務めることとなったのでした…

将棋に対して真面目な佐藤康光先生。

1秒で1億と3手読んだとしても、自分達の仕事を遊びと軽んじられる発言には

たとえ大先輩と言えど簡単には許せなかったのでしょう。

まぁ、米長先生なら言いかねないよね…

デビュー戦がまさかの不戦勝

1987年のデビュー戦である早指し選手権出場が、佐藤康光先生のプロ棋士としてのデビュー戦だったのですが

お相手であった木村嘉高先生が、事情によりなんと欠場。

デビュー戦が不戦勝という、将棋界では極めて珍しい記録を残しています。

ダン

こればっかりは相手いないと対局出来ないからね…シンプルに喜んでいいのかどうか複雑だよね…

将棋めしに新手 独創的な手は食事にも

健啖家の加藤一二三先生をはじめ特徴的な食事を取られる棋士の先生も多く、

丸山忠久先生のから揚げ定食にから揚げ追加、カロリーメイト定跡などユニークなものがありますが

佐藤康光先生を前にしては、それらの定跡が霞むほど。

佐藤康光先生の食事の新定跡で有名なものとしては

冷やし中華に餅トッピング

緑茶を炭酸水で割る緑茶ボール?

朝食は圧倒的に納豆派、パンにも納豆。納豆はデザート

などがあり、見る将の期待値を斜めからぶった切っていく独創的な手を指します。

ダン

ちなみに冷やし中華に餅トッピングは、佐藤先生曰く二度とやらないようです。珍しく悪手だったんでしょうか!?

また2006年の竜王戦では

渡辺明先生がモンブラン、佐藤康光先生がフルーツルージュをおやつとして注文します。

勝敗を分けかねない局面で、仲居さんはなんと両社逆のスイーツを提供。

大先輩の佐藤康光先生を前にして、勝手に佐藤先生が注文したフルーツルージュを食べる訳にもいかず

長考する佐藤先生の出方を探る渡辺明先生。

そして佐藤康光先生が、渡辺先生が頼まれたモンブランを召し上がられたタイミングで

渡辺明先生も佐藤康光先生が頼まれたフルーツルージュを召し上がられたのでした…

ダン

いやあ…渡辺明先生の立場からしたら、手違いとは言え先輩が頼んだケーキを勝手に食べられないよね…佐藤康光先生も気づかず召し上がってしまうのはさすがです。

 

そして2002年、羽生善治先生との王将戦では

おやつに大好物のキウイフルーツを食べ続け、羽生善治先生から王将位を奪取。

キウイ王将と言われる程キウイフルーツを食べまくった佐藤康光先生でした。

ダン

ちなみにこの件、佐藤康光先生はキウイでいじられていることをご存じだったようで、半ば意地になって頼みまくっていたみたいだよ。棋士の意地!?

ちなみに不二家さんが主宰となる叡王戦での対局の際は、不二家さんの商品を自身の脇に見えるように置き、

指す前に不二家さんの商品を口に入れてから指す等の気遣いも出来る方です。

会長も務められていましたし、やはり気遣いも出来る先生、素敵ですね。

佐藤康光の戦績・暴銀などの棋風

タイトル獲得13期、歴代8位

佐藤康光先生は2023年時点でタイトル獲得13期、歴代8位の実績を誇ります。

タイトル挑戦回数と獲得期は以下まとめました。

棋聖位を通算6期獲得しており、永世棋聖の称号を得ています。

また、一般棋戦でも12回の優勝を誇り

NHK杯 3回

銀河戦 3回

JT杯 2回

早指し新鋭戦 2回

ネット将棋最強戦 1回

オールスター勝ち抜き戦 1回

となっています。

ダン

羽生善治先生を筆頭に羽生世代と呼ばれた強豪棋士の一人だよ。羽生先生だけでなく森内俊之先生や藤井猛先生郷田真隆先生など競合がひしめく世代。時代が違えばもっとタイトル取れていたかもしれない…

棋風は本格化から変化球へ

もともとの佐藤康光先生の棋風は、深い研究と読みに裏打ちされた本格的な居飛車党でした。

しかし2000年代に入り半ば頃から、定跡に頼った棋風ではなく

極めて独創的な棋風に変更しています。

ダン

中原誠先生もそうだったように、どこかで棋風を変えるというのは今よりよくなりたいと思うからこそだよね…

 

理由は同志でもあり、憎きライバルでも羽生善治先生を倒す為だったそうですが

実際にそこから再びタイトル戦線でも結果を残す等、棋風チェンジは一定の成功を収めています。

代表的なのが角交換振り飛車、向かい飛車等ですが1秒間に1億と3手読む男、更に面白い手も指します。

それが暴銀。

棒銀じゃないですよ。暴銀。

独創的なんて一言で片づけられない程、前例のない手を指すのは

佐藤康光先生、そして山ちゃんこと山崎隆之先生ぐらいのものでしょう。

ダン

特に今は将棋ソフトによる研究全盛で、1%でも勝率を上げる為の手を日々研究している棋士が多い中為、このような手は普通の人では指せないでしょう。

将棋は勝ち負けも勿論そうですが、芸術等にも通ずる部分があり

堀口一史座先生中座真先生など、将棋にアーティスティックな部分を持ち込む先生もいる中で

佐藤康光先生は勝率と芸術を高いレベルで両立している数少ない先生の一人ですね。

将棋連盟の会長とひっかけて、怪鳥と呼ばれることもありますが、納得です。

佐藤康光の生い立ち 人物像など

生まれ~プロ棋士になるまで

佐藤康光先生は1969年に現在の京都府八幡市で誕生します。

将棋を覚えたのは6歳の頃で、この頃米長邦雄先生に憧れていたようです。

中学校1年生の時に奨励会に入会し、1年弱で2級まで昇級した後

お父様の仕事の都合で東京へ引っ越し。

そこで島朗先生との研究、通称島研にて腕を磨き

17歳でプロ入りとなりました。

佐藤康光の家族構成など

佐藤康光先生は3人兄妹で長男です。

お父様は某製薬会社の重役とのことで、東京への引っ越しもそれが理由とのこと。

ちなみに弟さんはなんと歌舞伎役者の市川段一郎さんとのこと。

現在はご結婚され、奥様がいらっしゃるようです。

佐藤康光の性格

独創的な棋風が有名な佐藤康光先生ですが、性格は真面目で温厚そのもので有名だそうです。

こと将棋に関しては気持ちが入り、熱くなって悔し涙を流してしまうことがあるようですが

それでもそれ以外では真面目さがプラスに出ているように思います。

特に将棋ソフト騒動で谷川浩司先生が会長を退任され、佐藤康光会長が新しく就任されてからは

将棋連盟に対する不信感の払しょくと、将棋ソフト騒動の収束という難しい課題を突き付けられました。

居酒屋で「やってらんねえ!」と叫ぶ程度には大変なお仕事だったようですが

それをやり遂げることが出来たのも、やはり佐藤康光先生の人柄によるものが大きいでしょう。

そして、それらの問題が片付いた先に現れたのが藤井聡太先生。

将棋連盟、将棋に対する閉鎖的なイメージを一気に打開してくれた存在で、

現在まで続く将棋ブームの火付け役であることは間違いありません。

ダン

でもこんなタイミングでこんなカードが手元に来るってやっぱり運の要素も大きいと思うんですよね。谷川先生に運がなかったとは言わないですが、こういう苦難が起きた時に打開出来る佐藤康光先生って、やっぱり羽生善治先生並に持ってるなぁと思う訳です。

佐藤康光の著書

佐藤康光先生の著書を紹介します。

読むだけで身につく佐藤康光流終盤の技法


読むだけで身につく佐藤康光流終盤の技法

佐藤康光先生の終盤戦に関する本です。

優勢、有利、そして勝勢と着実にリードしていく中で、最後勝ちに結びつける為のノウハウが

沢山書かれています。

最強居飛車穴熊マニュアル


最強居飛車穴熊マニュアル

居飛車穴熊を指したい人にとってはぜひとも読んでおきたい一冊。

穴熊を組むまでの手順や考え方等が記載されており、居飛車穴熊党の人は

読むとレベルアップ間違いなしです。

まとめ

最後まで読んで頂きありがとうございました。

今回の記事でお伝えしたかったこと

佐藤康光先生の真面目な人間性があってこそ、現在の将棋界がある

佐藤康光先生の独創性はふざけているのではなく、真面目を突き詰めた結果

高い棋力と独創性を両立している理想の棋士、それが佐藤康光先生

2023年に会長職を辞し、これからは将棋に専念されますが

まだまだ棋力は健在ですし、有望な若手の壁として是非立ちはだかって欲しく思います。

これからも佐藤康光先生を全力で応援します。

ダン

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