米長邦雄 名言・伝説の宝庫
米長邦雄先生の生い立ちについて
米長邦雄先生のエピソード
米長邦雄先生の名言・伝説について
米長邦雄先生と言えば、将棋界におけるレジェンドの一人で
大山康晴先生、升田幸三先生、中原誠先生、加藤一二三先生等と並ぶ
昭和世代の棋史における中心人物の一人です。
2012年に病の為この世を去ってしまいましたが、生前は
私達将棋ファンを非常に楽しませてくれました。
今回はそんな米長邦雄先生についてご紹介したいと思います。
どうぞ最後までごゆっくりとお読みください。
米長邦雄の名言・伝説について
米長邦雄 名言について
米長邦雄先生は棋士としての実績もそうですが、名言が多くその点でも未だに話題になります。
最も有名な名言で言うと
でしょう。(※実際は米長邦雄先生が直接言ったのではなく、芹沢博文さんの創作と言われています)
いや勿論米長邦雄先生もとても優秀ですけど、東大に行ったお兄様方も相当優秀ですから…
米長邦雄先生に限った話ではないのですが、当時の大山康晴先生、中原誠先生、加藤一二三先生
そして升田幸三先生と、昭和の棋士の先生は
盤上で指す将棋だけでなく、このような言葉にも非常に長けていたような印象を受けます。
現在では羽生善治先生、藤井聡太先生の言葉にも唸らされることが多々ありますね。
米長邦雄先生の発言は、これらの走りだと思います。
米長邦雄語録
では実際に米長邦雄先生がどんな名言を生前発せられたか、個人的に気に入ったものを2つ紹介します。
これは今でも将棋界に根付くとても重みのある考え方で、米長理論ともいわれます。
自分自身は関係がないけれど、相手が初めてタイトル挑戦の懸かった一局だったり、この一局で昇級・降級が決まってしまうような一局の場合は、なかなか平常心で指すというのも難しいもの。
しかしだからこそ、全力を以て相手と対峙し、その対局に勝利しないといけないことを米長邦雄先生は語っていらっしゃいます。
里見香奈先生のプロ編入試験の時も、プロになりたての徳田先生、岡部先生、狩山先生皆このメンタリティで挑み、実際に勝利しているんだ。
相手がどんな状況・精神状態であろうが、盤を挟んで向き合えば将棋を学ぶ相手でもあり、そして対局で負かさななくてはならない相手。
八百長とは無縁の考え方であることが、この精神性からも伺い知れますね。
これは米長邦雄という一人の棋士の考え方だけで留まらず、男としての考え方全てに共通するのではないでしょうか。
男の約束、というものの重みは誰しもが感じていることだと思いますが
米長邦雄先生はその男の約束の重みを法律よりも優先すべきもの、と表現しています。
考えるに、
ということを表現した1フレーズではないでしょうか。
これら以外にも米長邦雄先生の名言はたくさんあるので、以下よかったら参考にしてみて下さい♪
米長邦雄伝説
米長邦雄先生はとにかく一癖も二癖もあるようで、好き嫌いも激しく
周りの方もきっと大変であっただろうことは容易に想像が出来ますね。
加藤一二三先生とのミカン対決のように本当に沢山のエピソードがあるのですが
一番米長先生を語る上で外せないのは…性豪伝説でしょう。
具体的な言及については避けますが
という当サイトの上位互換サイトにて語られていますので、是非ご覧下さいませ。
本当に豪放な性格と言うか…飲む・打つ・買うという昭和の英雄にありがちなことを全部やってるんですよねえ…
他にも交友関係が広く、有名な所で言えば
ミスタープロ野球こと長嶋茂雄氏などが挙げられます。
将棋界にて名人位にもなるような実力の先生だと、様々な方と交流も出来るみたいですね。
保守的な思想ではあるがリアリストでもあった
米長邦雄先生は政治思想において保守派としても知られ、東京都の教育委員時代には
国旗掲揚と国歌斉唱の義務化を訴えたこともあるほど。
2004年の園遊会にて、当時の天皇陛下(明仁上皇陛下)に対し
と熱弁するほど筋金入りだったと言います。
(それに対し陛下は「強制されずに実現されることが望ましいですね」と模範のような回答)
そんな筋の通った思想を心に宿す一方で、
本来保守派の政敵であることが多い日本共産党に対しては
と自らの思想とは切り離して御礼を述べています。
これは日本共産党の機関紙である「しんぶん赤旗」が伝統文化保護の観点から
将棋・囲碁の新人王戦を長期に渡って主催していることで
このように特定の政党が将棋・囲碁に対しサポートしてくれること自体が
将棋界にとってはプラスであるという考えに基づいたものと考えられます。
自らの思想と相いれない所があったとしても、リアリストとして切り分けて善悪を判断し、行動出来るって並大抵のことではないですからね。
傑物はやはり常識や慣習に囚われず、柔軟な思考・対応が出来ることを教えてくれますね。
米長邦雄 戦績など
ここからは米長邦雄先生の実績等について紹介します。
米長邦雄戦績
米長邦雄先生の現役時代の主なタイトル等の実績をまとめてみました。
タイトル挑戦回数が48回、うち獲得が19期で歴代6位の記録となります。
他の先生方の時にも言及していますが、現在のようにタイトルが8つよりも少ない時代だし、大山康晴先生、升田幸三先生、加藤一二三先生他多くの強豪棋士がひしめく中でのこの記録は素晴らしいの一言ですよね。
タイトルの数を見て頂いてわかるように棋聖が一番多く、7期となっており
永世棋聖の称号を持っています。
また、棋戦での実績については以下となります。
NHK杯 1回
早指し選手権戦 4回
日本シリーズ 3回
勝抜戦5勝以上 1回
日本将棋連盟杯争奪戦 2回
古豪新鋭戦 1回
名将戦 4回
と合計16回の優勝を誇ります。
その他の記録
タイトル戦、一般棋戦の実績は紹介させて頂きましたがそれ以外にも様々な記録を打ち立てており
代表的な所で言いますと
最年長名人記録 49歳11か月
最年長名人失冠記録 50歳11か月
最多タイトル挑戦失敗回数 19回
等が挙げられます。
最年少名人記録を作った藤井聡太先生も勿論凄いんだけど、最年長名人の記録を持っている米長邦雄先生も同じくらい凄いんだよ。
またタイトル挑戦に一番多く失敗したということは、それだけ長い期間トップクラスの実力を維持出来ているからともいえるね。
このあたりは加藤一二三先生の最多敗北数と同じことがいえるよ。
米長邦雄棋風
米長邦雄先生の棋風はもともと本格的な居飛車党で
特に後手番での対矢倉に対する有効な戦法として
米長流急戦矢倉が挙げられます。
しかし米長邦雄先生の真の凄みは戦法ではなく米長邦雄先生のパーソナリティに基づいた差し回しで
しばしば泥沼流と呼ばれています。
泥沼流は自陣が不利になると駒を打ち付けて、局面を難解にした上で
相手のミスを誘い、逆転を目指す戦法ですが
弟弟子でもある丸山忠久先生によると、米長将棋の神髄は
清から濁へ、濁から清へのギアチェンジの速さ
にあるとコメントされていました。
こういう切り替えの速さみたいなものはやっぱり米長邦雄先生の人間性によるものなんでしょうか…堀口一史座先生も盤面に人間の内面が出ると語られていらっしゃいますしね…
また米長玉という米長邦雄先生独特の玉の使い方も特徴的で、
早逃げをしたり、香車の上に玉を配置(先手9八玉、後手1二玉)することで
Z(絶対詰まない)の状態を維持し、1手勝負で競り勝ちやすくなる
等独創的な差し回しも魅力で、1999年度に升田幸三賞を受賞されています。
将棋連盟会長 米長邦雄
米長邦雄先生の将棋界における功績はタイトル獲得数だけにとどまらず、
日本将棋連盟の会長となり、様々な改革を進めたことも挙げられるでしょう。
会長時代の主な功績としては
ネット棋戦の開始(大和証券とのタイアップ)
コンピューターと人間間の対局コンテンツ作り(ニコニコ動画・ドワンゴ等と協力)
棋士編入試験制度
将棋連盟の公益法人化
女流棋戦の新設
などが挙げられ、米長邦雄先生の多才ぶりが伺えます。
特にコンピューターと人間の対局という夢のようなイベントは、米長先生みたいな柔軟な発想がないと実現しなかったでしょうし(後年会長となる佐藤康光先生にお叱りを受けるところも含めて)
女流棋士の棋戦新設は、米長邦雄先生の色男ぶり?が良い方面に出た結果と捉えて良いのでしょうか…
会長は堅物でないといけない、というのも米長先生がかなりぶっ壊したよね。
米長邦雄 生い立ち・弟子など
米長邦雄先生の生い立ち・師匠との関係
米長邦雄先生は1943年に、現在の山梨県富士川市にて誕生します。
もともとは4兄弟の4男で、先述した通り
米長邦雄先生のお兄様3名は東京大学に進学される非常に優秀な家庭だったようです。
もともと代々地主の家庭だった米長家ですが、戦後の農地解放によって土地が失われ
その後始められたたばこ屋でも、お父様が結核を患っていたこともあり生活は厳しかったようです。
将棋でも実力をつけ、山梨県の大会でも優勝するなどしましたが
その後に師匠である佐瀬勇次先生が米長邦雄先生のご自宅を訪れて
プロ入りを目指すことを薦めますが、米長邦雄先生の両親に一番刺さったフレーズは
ということだったようで、当時日本全体が経済的に苦しい中での
口減らしのような形で将棋の世界に入られたのでした。
そこからは師匠である佐瀬勇次先生と
師匠の勉強の仕方が悪い
師匠と将棋を指すと師匠どまりの成績になる
と散々な口を叩いてどやされたこともあったようですが
佐瀬先生は息子のように米長邦雄先生を可愛がっていたようで
米長邦雄先生も、生意気な口を叩きながら
と後年深い感謝の念を語られています。
佐瀬勇次門下・米長邦雄先生の兄弟弟子
米長邦雄先生の師匠であった佐瀬勇次先生は
現在の森信雄先生や井上慶太先生のような名伯楽で多数の弟子を育てられています。
以下佐瀬勇次門下の先生ですが
と錚々たる先生方が同門下にいらっしゃることがわかりますね。
また、女流棋士の先生も含めると
も含まれ、本当に多彩な棋士の先生を育てられたことがわかります。
米長邦雄門下の弟子達
そんな佐瀬先生に触発されたのか、米長邦雄先生も多くの弟子を取り、プロ棋士に育てています。
以下主な米長門下の弟子の先生ですが
となっており、あの林葉直子先生の師匠という顔も持ち合わせていました。
先崎先生はまぁ上手くやれただろうことは想像つくんだけど、中村太地先生のような真面目な方と米長先生みたいなクセのある師匠の組み合わせ、上手く行ったのかな…
お弟子さんの数、実績で言えば
大山康晴先生や中原誠先生、加藤一二三先生、升田幸三先生をも上回ったと言えるのではないでしょうか。
米長邦雄 著書
米長邦雄先生の著書などについて紹介します。
運を育てる
運を育てる (祥伝社黄金文庫)
米長先生の根っこになる考え方が詰まった一冊です。
運がいい、悪いと良く言われることがありますが
米長先生同様、ダンも運は「育てたり、作ることが出来るもの」という考え方でいます。
それがよくわかる一冊。
米長邦雄名曲集
米長邦雄名局集
米長邦雄先生の対局の中で、名曲と言われる226局が収録されています。
米長玉、米長流急戦矢倉等の神髄を、本を通じて知ることが出来る逸品。
勉強の仕方
勉強の仕方 (祥伝社黄金文庫)
実は将棋のことをよく知らない人にもオススメなこの一冊。
実際の勉強の仕方などについて深く言及はされていないのですが
新しいことや物事を学ぶ際に大切な考え方について
頂点を極めし二人が明瞭な言葉で表現してくれています。
ダンも定期的に読み直している、実は隠れた名作です。
まとめ
本日も最後までお読み下さり、ありがとうございました。
米長邦雄先生は昭和時代に生まれた剛腕棋士の一人
清も濁も併せ呑むその潔さがクセとなり、多くの人を魅了する
没後の人気も色褪せない、それだけ残した功績は大きい
2012年に残念ながら亡くなられてしまい、ご活躍を見ることは出来なくなってしまいましたが
米長先生の功績やご活躍は現在のお弟子さん・連盟の方々が大切に引き継いでいってくれることでしょう。
これからも米長一門のご活躍を心より応援しています。
ダン
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