糸谷哲郎 結婚相手は香川愛生?父は東大卒
糸谷哲郎先生のこれまでの歩みについて
糸谷哲郎先生のプロ棋士後の戦績について
糸谷哲郎先生のエピソードについて
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糸谷哲郎先生と言えば、将棋の8つのタイトルにおける最高峰、竜王にも輝いたことのある
トップクラスの棋力を持つ先生の一人です。
また、将棋以外でも様々な話題を提供して下さり、盤外でも私達を楽しませて下さる存在です。
今回はそんな糸谷哲郎先生に関する記事をご紹介致します。
どうぞ最後までゆっくりとお読みくださいませ。
糸谷哲郎 結婚相手は香川愛生?
糸谷哲郎の結婚相手は香川愛生?
糸谷哲郎先生はプロ棋士の中でもトップクラスの実力を持つ先生で
解説でも人気が高い先生ですが、恋愛事情・結婚事情が気になりますね。
2024年現在、糸谷哲郎先生は結婚されていません。
ただし将棋ファンの中でよく半分ネタ、半分本気で語られるのが
糸谷哲郎の嫁は香川愛生先生がピッタリだ、と言うこと。
まだお二人がお若かりし頃、共に関西将棋連盟に所属していた際に
西遊棋などの活動で親交を深めたことも理由の一つと言われていますね。
糸谷哲郎もタジタジ 香川愛生の寄せ
糸谷哲郎先生と香川愛生先生のほほえましいやり取りはインターネット上の
動画でもいくつか散見されるのですが、一番面白い動画と言えばやはりこれでしょう。
(ハイライトは20秒過ぎ~)
香川愛生先生が序盤から仕掛ける超急戦展開に、早指しが得意な糸谷哲郎先生もタジタジな様子がわかります。
ただし、序盤の強烈な攻めを上手く捌くと、そこからは穏やかで楽しい持久戦となりました。
仲の良い様子が動画からも伺えますね。
糸谷哲郎は結婚願望ある?
糸谷哲郎先生はそもそも結婚願望はあるのか、という話ですが
糸谷哲郎先生はあまり結婚願望がないようで、
しかも香川愛生先生のyoutubeチャンネルでそれをぶっこんでいます。
糸谷哲郎先生のお父様も同じ見解なようで、
お見合いの話を持って来るなオーラが凄いみたいですね(笑)
ただし、一方的に拒絶しているかというとそういう訳ではなくて
恋愛は振られる方であり、どちらかというと待ちの姿勢
好きなタイプは野望のある人
ということも仰っていますので
香川愛生先生みたいに比較的野心があり、将棋同様に積極的に糸谷玉を追い詰めて行けば
投了(=結婚)に追い込むことは不可能ではなさそうですね。
糸谷哲郎 生い立ち~プロ棋士の戦績
生い立ち~プロ棋士になるまで
糸谷哲郎先生は1988年に、広島県広島市にて誕生します。
将棋の手ほどきを受けられたのは5歳の頃で、当時将棋の棋士がインタビューされているのを
テレビで見ていたことがきっかけで興味を持たれたようです。
そこから駒の動かし方を知っていたお父様に指導を受け、谷川浩司先生の入門書等を読んで少しずつ棋力を上げて行きます。
間もなくお父様に勝つようになると、中国地方の名門でもある
広島将棋センターに通うようになり、ここで様々な年代の方々と将棋を指して実力を蓄えていきます。
広島将棋センターは、兄弟子でもある山崎隆之先生や東大棋士の片上大輔先生、竹内雄悟先生等も通われたみたいです。
あの村山聖先生からも指導対局を受けられたことがあるみたいですね。
実力をつけていくうちに更に強い人と指したいと言う思いが芽生え、
小学校4年生の頃奨励会を受験したい旨をご両親に伝えます。
ご両親からは糸谷哲郎先生がプロ棋士になることに対する覚悟が足りていない旨を見抜かれ、反対されますが
一回だけなら、という条件で名伯楽森信雄先生を師匠に奨励会を受験。
一次試験(同じ受験生での対局)が3勝3敗、二次試験(現役奨励会員との対局)が1勝2敗と
なんとかギリギリのスコアで奨励会に入門となりました。
奨励会入門後はなかなか昇級が出来ず、一時は7級降格の危機を迎えるなど約2年の間足踏みが続きました。
しかし後述する中学受験を小学校6年生で迎えると
そこで思考の深さや集中力の持続方法等が将棋にも良い方向に作用し、一気に昇級を重ねていきます。
15歳で初段となり、16歳で三段リーグに参戦します。
一期目を13勝5敗、二期目を12勝6敗で次点となると
三期目を14勝4敗の成績で1位通過し、中村太地先生と共に四段昇段(プロ入り)を決めたのでした。
三段リーグに入った時点でプロになれないとは思っていなかったみたいですね。16歳で三段リーグ入りしてプロになれなかった人はいないというデータも心強かったみたいですよ。
糸谷哲郎 プロ棋士としての戦績
糸谷哲郎先生がプロ入り後の戦績ですが、
大きなものはやはり竜王1期と燦然と輝くタイトル獲得でしょう。
以下タイトル挑戦回数をまとめました。
またプロデビュー直後の新人王戦でも優勝経験があり、A級も5期在籍経験のある
現在もトップ棋士の一人です。
糸谷哲郎の棋風
糸谷哲郎先生の棋風ですが、将棋を覚えた頃は振り飛車党だったものの、
奨励会入会時に師匠の森信雄先生から居飛車の方が活きるとのアドバイスを受け転向。
現在も居飛車で独創的な差し回しが特徴です。
得意戦法は角換わりとなっていますが、それ以外にも矢倉や横歩取り、相掛かり等も指すマルチプレイヤーですね。
角換わりからの早繰り銀、振り飛車に対しての糸谷流右玉等がありますが
比較的玉をあまり囲わずに、バランスを見て指すことが多く
棋界きっての早指し、どちらかというと受け将棋寄りの指し方が多いようです。
早指しで有名なあの加藤一二三先生も、一番の早指しと言っているよ。もっとも、秒読みがどちらかというと得意ではないので終盤に備え時間を温存しておきたい、というのが理由のようですね。
また、着手後頻繁に離席することでも知られており、対局場を離れて歩きながら指し手を考えられているようです。
糸谷哲郎先生曰く、
とのことで、棋士では少数派の「歩きながら展開を読む」タイプの棋士でした。
糸谷哲郎 反則負け 大阪大学 哲学 斜陽産業 スイーツなどのエピソード
将棋界屈指のインテリ糸谷哲郎 大阪大学の院卒 華麗なる秀才一家
糸谷哲郎先生はプロ棋士としての顔だけでなく、様々な活動を通じて多才ぶりを発揮されています。
まず趣味は読書で、小さい頃から非常に沢山の本を読まれていたそうです。
これは祖父母の影響が大きかったようで、自宅は本の重みで潰れるのではないかと言うほど本があったと言います。
祖母は大変な読書家でもあり、祖父は大学教授。
更に、お父様は東京大学を出て中国電力で原子力に関するエンジニアでもあり
お母様のご実家は鎌倉で、母方の祖父は大学教授でありマルクス経済学に関する専門家でもありました。
更に糸谷家は代々広島の宮島でご商売をやられていたようで、
もう何というか物凄い優秀な一族である様子がわかりますね。
糸谷哲郎先生も中学・高校と広島県で一番の進学校、広島学院に進学されており
大学は大阪大学の文学部に進学し、大学院では哲学を学ばれています。
ちなみに関東にある大学に進学し、そこで将棋を学びながらという選択肢もあったみたいだけど、「関西には義理がある」ということで、関西将棋会館から近い大阪大学を受験されたみたいですよ。糸谷哲郎先生のお人柄が伝わる話ですね。
ちなみに糸谷哲郎先生のお名前の「哲郎」は、お父様お母様で話し合い「哲学」の「哲」を名前に付ける
というところからきているようです。
名前からして哲学、凄いですね…
二度の反則負け
糸谷哲郎先生には二回の有名な反則負けがあります。
一つ目はプロ入りしてすぐの対局で、相手は戸部誠先生。
戸部誠先生が馬で糸谷玉に王手した際、馬を取って駒台に置くまでは良かったものの
玉の動かす位置を間違えてしまい(7八馬だった為、同玉なら8八にいた玉を7八に動かさないといけない)
8七に動かしてしまいます。
これにより王手放置とみなされ反則負け。
そしてもう二つ目の有名な反則負けが奨励会時代のもの。
相手は佐藤天彦先生で、佐藤天彦1級と糸谷哲郎3級、佐藤天彦先生は初段昇段が懸かった1局でした。
局面は銀を取る場面で、糸谷哲郎先生は佐藤天彦先生の銀を取ります。
そしてあろうことかそれを自分の駒台ではなく、なんと佐藤天彦先生の駒台に載せてしまったのでした。
将棋を習う時に教わるルールですので、奨励会員がそれを知らない訳がありません。
困惑する佐藤天彦先生と、幹事である井上慶太先生に相談する糸谷哲郎先生。
前代未聞の着手は、前例がないながら幹事である井上慶太先生の裁定で
糸谷哲郎先生の反則負けとなり、佐藤天彦先生の初段昇段が決まったのでした…
反則負けをしり号泣する糸谷哲郎先生ですが、幹事である井上慶太先生の
と言う一言で泣き止み、笑顔を取り戻したそうです。
立ち直ってプロ棋士になった糸谷哲郎先生もそうだけど、慰めた上に本当に伝説にしてしまう井上慶太先生の慧眼…棋界屈指の名伯楽はやはり見ている所が我々とは違うんでしょうか…
奨励会では厳しく指導される
そんな優しく慰めて下さった井上慶太先生のような幹事がいた一方で
糸谷哲郎先生を厳しく指導して下さったのが、ハタチンこと畠山鎮先生です。
井上慶太先生が柔なら、畠山鎮先生は剛という感じで
奨励会時代に一番躾や礼儀のことで叱ったのは糸谷哲郎先生だったようです。
ただし畠山鎮先生は愛情を持って厳しく接することが出来る、人間力の極めて高い先生の為
それについては糸谷哲郎先生も感じており、師事していたようです。
実際そこから一線で活躍する関西出身の棋士が多数輩出されていることからも、畠山鎮先生の幹事としての手腕の高さが伺えますね。
プロ棋士になってからも畠山鎮先生と交流があるというお話からも、お二人の関係性が良好であることはわかります。
糸谷狩り?ネット将棋の犯人は…
糸谷哲郎先生が奨励会時代、将棋倶楽部24というインターネット将棋で
稽古に励んでいた頃、糸谷哲郎先生のレート点数が高いことに目を付けた某棋士が
「糸谷狩り」と称して対局し、糸谷哲郎先生をコテンパンにやっつけるという事態がありました。
某棋士とは、プロ入り直後の渡辺明先生。
当時は糸谷哲郎先生とは知らず、ただ単純にレートの高いプレイヤーとして狙いをつけ
狩りまくって点数を奪うということをしていた渡辺明先生。
ただ、これが出来た理由は糸谷哲郎先生が対局を断らなかったこともあるらしいんですよね。逃げずに立ち向かう糸谷哲郎先生も凄いと思います。
当時は狂ったようにネット将棋をやられていたという糸谷哲郎先生、
将棋が雑になってしまうというリスクもありながら、対局慣れのメリットを選んで指していたようです。
最初は渡辺明先生に文字通り狩られ、9-1などと圧倒的に分が悪かったのですが
少しずつ糸谷哲郎先生も棋力をつけ、それが7-3,6-4…と少しずつ押し返していきます。
そんな若かりし頃の経験がありながら、お二人は棋王戦という舞台で相まみえました。
結果1勝3敗で、挑戦者の糸谷哲郎先生が敗れてしまいましたが
今は糸谷狩りとは簡単には言えない程お二人の実力は拮抗されています。
残念ながら対戦成績は渡辺明先生に大きく分がある状況ですが、
いつか糸谷哲郎先生が下剋上し、渡辺狩りを達成することに期待したいですね。
将棋界は斜陽産業
2006年の新人王戦で優勝した際のスピーチで発した、有名な
という発言。
19歳の若者が発した言葉に、関係者は驚きを以て捉えましたが
発した発言に違わない行動を、糸谷哲郎先生は自らの背中で示し続けるのでした。
主に関西の若手棋士が将棋普及を目的として行う活動、西遊棋の中でも
先頭に立って積極的に盛り上げる糸谷哲郎先生。
いじられキャラとしても大車輪の活躍をします。
糸谷哲郎先生に似ていると呼ばれるポケモンのキャラクター、カビゴンをプレゼントされた際は一同爆笑しました。
あまりに似すぎていて聞き手の中村桃子先生も爆笑されていますね。
斜陽産業と言う言葉は、今でこそ藤井聡太先生の八冠により部分的に打ち消されたように思いますが
当時の将棋界は、愛好家の減少やソフト指し疑惑等どちらかというとあまり明るい話題が多くなく
ヒカルの碁の出現など、囲碁にもやや押されているような印象でした。
その状況を正しく俯瞰して、自らやれることを突き詰めてやっていく。
トップ棋士としての活動と、普及の活動をこれほどまで高いレベルで両立されている先生は
糸谷哲郎先生以外いらっしゃらないでしょう。
こんなネタも提供してくださっています。
対局中の真剣な表情と、盤外でのギャップ、素晴らしいですね。
スイーツ男子として食レポなども担当
タイトル戦等でのおやつなど、何かと話題になる将棋界における食べ物ネタですが
その先駆者と言ってもいいのが糸谷哲郎先生でしょう。
研究会や対局の中継がある際にスイーツの差し入れをすることは勿論のこと
自身もスイーツが好きで、かつて産経新聞にて
ダニーの棋食徒然
というテーマでグルメレポートもされていた程。
堂々とした体躯から、美味しそうなものを幸せそうに召し上がる姿はほっこりしますね。
関西若手四天王から実力派へ
糸谷先生の世代は、現在もプロ棋士として活躍する棋士が多く
関西若手四天王の一角として名を連ねていました。
この他にも先述した佐藤天彦先生や戸部誠先生、広瀬章人先生達とも世代が近く
現在も一線で活躍している世代です。
これからの糸谷哲郎先生の更なるご活躍に期待ですね。
糸谷哲郎 著書の紹介
現代将棋の思想 ~一手損角換わり編~
現代将棋の思想 ~一手損角換わり編~ (マイナビ将棋BOOKS)
後手からの角換わり(一手損角換わり)の定跡を書かれた一冊です。
丸山忠久先生と並び、一手損角換わりのスペシャリストでもある糸谷哲郎先生。
角換わりでの定跡を学ばれる方は必読の一冊です。
イメージと読みの将棋観 ~スター棋士は盤上に何を思う
イメージと読みの将棋観 ~スター棋士は盤上に何を思う
糸谷哲郎先生だけでなく、藤井聡太先生他トップクラスの棋士の方による
「次の一手」の超難解版。
それぞれの味や考え方がギッシリ詰まっており、藤井聡太先生がどう局面を読んでいるのかもわかり
非常に読み応えのある一冊です。
まとめ
今回も最後までお読み下さりありがとうございました。
プロ棋士屈指の地頭・知性を持つ糸谷哲郎先生
それらを活かし今もトップクラスの棋力を持つ糸谷哲郎先生
普及活動にも全力で、対局と普及の両立をトップレベルでこなす糸谷哲郎先生
これからも対局に、普及活動にと活躍される糸谷哲郎先生を応援します。
ダン
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