郷田真隆がイケメン 若い頃の写真は? 格調高き一刀流
郷田真隆先生のこれまでの歩みについて
郷田真隆先生のこれまでの実績
郷田真隆先生のエピソード
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来ましたよ、郷田真隆先生の回。
数多いる棋士の中でもトップクラスに上品で、それでいて人間的でイケメンで…
郷田真隆先生の言動や振る舞いを見ると、思わずこちらも身がピシッと締まるような
そんな上品なオーラを感じるのが郷田真隆先生。
今回はそんな郷田真隆先生の魅力についてご紹介させて頂きます。
どうぞ最後までごゆっくりとお読みくださいませ。
郷田真隆がイケメン!若い頃の写真 結婚は!?
郷田真隆 若い頃がイケメン過ぎる
郷田真隆先生は現在でもイケオジ感のあるイケメンの先生ですが
お若い頃は更にイケメンで、当時から人気の高い棋士の先生でした。
お若い頃の郷田真隆先生の写真はこちら。
当時郷田真隆先生、21歳の頃です。
滅茶苦茶イケメンなんですよね…現代の価値観で見ても普通にイケメンで通じるんじゃないでしょうか
現在郷田真隆先生も50歳を越えており、勿論当時のような若々しさは少しずつ影を潜めていますが
それと引き換えに年齢相応のダンディさと言いますか、いい大人のオトコオーラをまとわれていらっしゃいます。
郷田真隆 結婚はしている?
そんなイケメンであった郷田真隆先生ですが、長らく独身を貫かれていらっしゃり
将棋界の七不思議にも入れられる程不思議な状態でいらっしゃいました。
そんな局面を、郷田真隆先生は突如打開します。
2016年、横浜市内に住む一般女性の方との結婚を発表されたのです。
お相手は元AKBの大島優子さんに似た8歳年下の女性の方だそうで、郷田真隆先生45歳の時でした。
馴れ初めは知人を交えた食事会で、お互い野球好きということで意気投合されたようです。
当時王将位にあった郷田真隆先生ですが、その防衛戦を前に横浜の中華街でプロポーズ。
プロポーズの際、郷田真隆先生はお母様である敦子様が「将来の奥様の為に」とご用意されていた
ダイヤの指輪を持参し、奥様にお渡しされたようです。
郷田真隆先生、滅茶苦茶ロマンチスト…性格までイケメンだとは。恐れ入ります。
将棋同様、人間味溢れる温かい家庭を築いて頂きたいですね。
郷田真隆 生い立ち プロ棋士の戦績
生い立ち~プロ棋士になるまで
郷田真隆先生は1971年に東京都の練馬区にて誕生します。
将棋を覚えられたのは3歳の頃で、今は亡きお父様からの手ほどきを受けたのが最初とのことでした。
ちなみに郷田真隆先生のお父様は、大学の将棋部出身でアマチュア3段と強豪だったようだよ。升田幸三先生の大ファンで、息子が出来たら将棋を習わせて将棋相手にと考えられていたようですね。
そこから腕を上げ、小学3年生の夏休み頃、近所にある将棋教室にも通うようになるのですが
将棋教室に通う初日、同行されたお母様にその後師匠となる大友昇先生から
と告げる程、当時の郷田真隆先生の潜在能力が高かったことが伺えますね。
そして小学校6年生の時に、奨励会に入会します。
郷田真隆先生は羽生世代でもある為、奨励会には羽生善治先生や森内俊之先生、佐藤康光先生、先崎学先生と言った
後にレジェンドクラスの棋士がズラリと在籍していました。
入会後、郷田真隆先生はいきなりの9連敗スタートで6級から7級に降格してしまいます。
この当時は、途中まで多少よくても最後は負けてしまうのではないかという
自身への将棋に対する自信が持てなかった時期ですが、立て直すと二度の10連勝以上など
爆発力を見せ、わずか1年で一気に7級→1級への大ジャンプを遂げるのでした。
その後14歳で初段、17歳で三段に昇段すると
三段リーグは1期目で13勝5敗で次点を取ると、4期目を14勝4敗の成績を取り、丸山忠久先生に次いで2位で四段昇段(プロ入り)を果たしたのでした。
郷田真隆 プロ入り後の戦績
郷田真隆先生のプロ入り後主にタイトル挑戦18回、タイトル獲得期数6期、A級在籍13期の実績があります。
2023年時点でのタイトルの挑戦回数と獲得期数をまとめました。
また、棋戦でも9回の優勝経験があり
JT杯 3回
銀河戦 2回
NHK杯 1回
早指し将棋選手権 1回
オールスター勝ち抜き戦 1回
ネット将棋・最強戦 1回
となっております。
このように実績も非常に立派なのですが、特筆すべきものが幾つかあります。
それは
史上初の四段でのタイトル
歴代二番目のプロ入りからタイトル奪取(2年5か月)
となっており、現行の昇段規定はタイトル挑戦=五段昇段
となっている為四段の状態でのタイトル挑戦、獲得が不可能となっているのです。
四段でのタイトル獲得は、今後郷田真隆先生以外獲得する棋士は発生しなくなってしまったんだよ。藤井聡太先生以上の棋士が今後誕生したとしても…
羽生善治世代によって阻まれたタイトルの機会損失等考えると、時代が違えば一時代を築けた可能性もあるレベルの先生なんですよ。
そしてプロデビューからタイトル奪取までの期間も藤井聡太先生よりも先です。
郷田真隆先生の凄さ、実績を紐解くとよくわかって頂けるのではないでしょうか。
郷田真隆 棋風
郷田真隆先生の棋風ですが、居飛車を基本とする本格派です。
矢倉を基本として相掛かり、角換わり、横歩取り等を指しこなし
その差し回しは、多くの棋士から
格調高い
と言われています。
ただ矢倉、横歩取り、相掛かり…ではなく
どのように指すのかがとても大事で、郷田真隆先生は受け継がれてきた
将棋の伝統を、しっかりと己の身体に染みこませ、それを盤面で体現されようとしているように見えます。
郷田真隆先生と全く同じ棋譜通り指したって格調は高くならないんだよ。それは郷田真隆先生がこれまでのキャリアの中で積み上げて来たものも大きいからですね。
また、比較的長考することが多い長考派の棋士とも言えます。
序盤の段階で時間を使って考えることもあるようなのですが、そのことについて郷田真隆先生は
という趣旨のことを述べられています。
常人以上に手が見え、考えるからこそここまでの実績を残されたことが伺い知れますね。
郷田真隆 不戦敗 一刀流 プロレス好きのエピソードなど
対局に遅刻して不戦敗に
2010年の竜王戦予選で森内俊之先生との対局にて寝坊により所定の対局時間内に間に合わず、不戦敗となってしまいました。
原因は強豪である森内俊之先生の対策を考えていたら寝れなくなってしまい、ようやく寝たのが午前4時頃だった為。
目覚まし時計を2つセットしていたものの、起きれなかったとのことです。
タイトル経験者の寝坊を重く見た連盟は
対局料の返納
竜王戦手当の返納
ボランティア活動1日
という処分を郷田真隆先生に課すのでした。
対局料の返納は当然としても、出場停止等にせずボランティア活動で場を治めたのは連盟のナイス判断!ですね。
趣味はスポーツ観戦とビリヤード
亡くなられたお父様が大の長嶋茂雄ファンだったこともあり、野球が好きで大のジャイアンツ党だそうです。
ちなみに奥様は横浜出身ということもあり、横浜DeNAベイスターズ党なのだとか。
夫婦揃って野球好きとは微笑ましいですね。
また、野球と同様に好きなものとしてプロレス観戦があり
長い期間に渡ってプロレスを観て来られて来たことが数々のインタビューが伺えます。
ラジオでもプロレス愛を語られています。
好きなレスラーは亡くなられた三沢光晴さん、そして小橋健太さんだそうで
三沢光晴さんと小橋健太さんの試合はオススメの一つだそうです。
三沢光晴さんのように最後の最後まで精魂尽き果てるまで戦う精神力の強さを
好きなポイントとして挙げられているようで
少しでも動ける時はフォールを返し、動けない時は3カウントでも5カウントでも立てない姿に
魅力を感じられるようです。
こういうのを聞いてしまうと、郷田真隆先生の棋風がストロングスタイルに見えてしまう…郷田真隆先生の棋風と三沢光晴のスピリッツ、通ずるものがあるんでしょうね…
また、プロレス以外の趣味としては高校時代から始められたビリヤードもあるようで
若い頃はよくやられていたようです。現在はあまりやられていないようですね。
一刀流 我が道を行く古武士のようなスタイル
郷田真隆先生を語る上で欠かせないのが郷田真隆先生の世界観でしょう。
AIや流行の戦型等、将棋界にもファッションのように棋風の流行り廃りが存在し、
しかも非常に速いサイクルで動いています。
しかし郷田真隆先生は基本的にそれらの流行り廃りにあまりなびくことはなく
自らの積み上げて来た棋風を拠り所とし、日々積み上げていくことに専念されていらっしゃいます。
例えばトレーニングをして体力をつける、という最近の棋士がやっているトレンドのようなことも
郷田真隆先生は見向きもしませんし、現在のようにAIの発達による研究についても
どちらかというと懐疑的な考えをお持ちのようで
なんでもかんでもコンピューターを…目指す所が僕にはわからない
良い手は指が覚えている
という発言をされており、
と自身が積み上げて来られた将棋のスタイルに対する誇りみたいなものを感じさせて下さいます。
一言で言うと武士ですね。
郷田真隆先生がこのように気品高く、格調高い将棋を指す根幹は
という本質を見誤らない所にあるからでしょう。
棋王戦での解説の際に、郷田真隆先生がAIの候補手を見て言い放った
と言う一言に、郷田真隆先生という人間の本質が見て取れるような気がします。
いくらAIが勝利する為に良い手だと指し示したとしても、人間の感覚で美しくないと思ったら指さない。
人間のひらめきや美学を大切にする、ということを大切に将棋をしてきたからこそ
一刀流と呼ばれる、格調高く郷田真隆先生にしか指せない、唯一無二の棋風になったのだと思います。
一刀流 郷田真隆矢倉勝局集
職人気質であり芸術家でもありますよね…亡くなられたお父様は西郷隆盛氏を尊敬されており、西郷隆盛氏の座右の銘に「敬天愛人」があります。
その思想を幼い頃からお父様より受け継がれている所もあるのかもしれませんね。
パソコンやメール等の類は使わない
上記の通り、昭和の棋士として格調高い将棋をひたすらに積み上げて来られた郷田真隆先生。
パソコンや将棋ソフト等の近代的なツールを用いた研究、情報収集には目もくれないようで
ネット将棋・最強戦にて優勝した際の副賞でパソコンをプレゼントされた際も
一時的に意欲を示されましたが、結局パソコンは使われていないようです。
郷田真隆先生が積み上げて来た棋風とAIでは相性が良くない所があるのかもしれませんね。
また、先述した将棋は人間が指すものである、という矜持からすると
ソフトに候補手や局面を指し示させる、というのは相いれない所があるのかもしれません。
人間の力のみで積み上げて来た郷田真隆の将棋…一目置かれるのも納得です。
まとめ
最後までお読み下さりありがとうございました。
若い頃はイケメン棋士の代表だったが、実は性格イケメンでもある郷田真隆先生
羽生世代の中でも異彩を放ち、人間が指す将棋の奥深さを教えてくれる郷田真隆先生
気品高く、格調高い将棋が誰からも一目置かれる郷田真隆先生
人間が指す将棋をひたすら追求される郷田真隆先生にはやはり多大な敬意を示すと共に
これからも更にご活躍される郷田真隆先生を応援致します。
ダン