先崎学 追悼文は現在も感動を誘う うつ病は優しさゆえ
先崎学先生のこれまでの歩みについて
先崎学先生のプロ棋士としての実績について
先崎学先生のうつ病などのエピソード
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先崎学先生と言えば、羽生世代の一人と言うことで
羽生善治先生をはじめ、多くの同世代の棋士と鎬を削ってきた先生です。
また非常に軽妙な語り口や書き物が好評で、盤上・盤外を問わず人気のある先生でもあります。
今回はそんな先崎学先生をご紹介致します。
どうぞ最後までごゆっくりとお読みくださいませ。
先崎学 追悼文が泣ける 村山聖を偲んで

先崎学 村山聖への追悼文が泣ける
先崎学先生は、先述した通り羽生世代の一人でもあり
羽生世代と30年以上に鎬を削ってきた先生の一人です。
そんな羽生世代で共に戦い、高い志を持って将棋に取り組んでいた仲間でもある
村山聖先生が29歳にて夭逝された際に寄せた追悼文が、今なお人々の心を震わせるのです。

概要を整理すると、
村山聖先生が今まで指した対局の実戦集を出したいと言い出した
棋士が棋士に実戦集の代筆を頼むのは本来であればあり得ないこと
手術後の微妙な時期の申し出だったことから、彼(村山)は死期を悟っていると思った
と言うことで、当時親交のあった郷田真隆先生や中田功先生と居酒屋にて激論を交わし
結論は代筆の依頼を受け、「村山聖名局譜」として世に出すこととなったのでした。

村山聖名局譜 (プレミアムブックス版)
この時に涙ながらに
と叫び、同席していたコーヤン(中田功)がボロボロと泣いていた描写は涙なくしては読めませんでした。

病状が病状なだけに、棋士の先生方も何となく村山聖先生の先がそんなに長くないことを察していて、それでも口に出来なかったのかもしれませんね…
戦友として送った 忖度のない追悼文
勿論代筆にまつわるエピソードだけでなく、村山聖先生と一緒に過ごしたエピソード等も綴られていました。
村山聖先生が酒席で割り勘に拘った、勝負師としての話。
村山聖先生が普通の青年がやっているようなことに憧れを持っていたこと。
恥ずかしくて家族に面と向かって言えなかった想い。
東京に出て来て棋士仲間と遊び、そして先崎学先生と酒が飲めることの喜び。
美化されすぎず、ありのままの村山聖先生を一本の筆でしたためたことで
私達の心にいつまでも、村山聖の名を記憶と共に刻んでくれたこと。



村山聖先生もきっと気づいていたのでしょう。自身が誰よりも優しくて純粋だったからこそ、羽生世代の中でも優しくて波長のあう先崎学先生のことを。自らが生きた証をこの人に託そう、としたことを。
この文章は村山聖先生のライバルであった羽生善治先生でも、森内俊之先生でも
そして師匠でもあった森信雄先生でも書けないでしょう。
先崎学という、村山聖に認められた男にしか書けなかった。
村山聖先生は先崎学先生に実戦集の代筆を通じて、自身の生き様を語ってくれることを
どこか心の底で願っていたのではないか。
そんなことを、先崎学先生の追悼文を見ると考えさせられてしまいますね。
先崎学 生い立ち プロ入り後の戦績


先崎学 生い立ち~プロ棋士になるまで
先崎学先生は1970年に青森県で生まれ、幼少期を北海道の札幌で過ごされています。
将棋を始められたきっかけなどはわかりませんでしたので、わかり次第後日加筆します。
小学校低学年の際に出場した
よい子日本一決定戦 小学生低学年の部
にてあの羽生善治先生を破って優勝し、
小学5年生の時に米長邦雄先生を師匠に三度目の試験で奨励会試験に合格、更に5級で奨励会に入会します。



その一年後に羽生善治先生達が奨励会に入って来る訳だから…当時は羽生善治先生ではなく先崎学先生が「天才」と呼ばれていたんだよ。
小学校の時点で2級まで昇級するなど、天才先崎の名を欲しいままにしていましたが
そこから降級点を三度取るなど不調に陥ります。
この理由は明白で、奨励会の悪い先輩に誘われて素行不良と呼ばれることを重ねたからでした。
具体的には小学生で雀荘に入りびたり酒を覚えたり、古本屋で万引きをしたりしたことで
将棋に身が入らない時期が続きます。
結局初段に昇段する頃には羽生善治先生は中学生棋士となっており完全に立場は逆転してしまったのでした。



羽生善治先生が四段になった際には、雑誌で二人並んで写真を撮られ「天才羽生善治」「元天才?先崎学初段」等と屈辱的な紹介をされてしまいます。
事実、昇段前に行った研究会では羽生善治先生に完膚なきまでに叩きのめされてしまい、
羽生善治先生の顔を直視出来ないばかりか四段に昇段するまで話も出来なかったそうです。
更にライバルでもあった羽生善治先生のことを「先生」呼びするのがいやで記録係もやらなかったなど
耐え難い屈辱を経験しますが
これが先崎学先生にとっては荒療治という意味で良い薬になったようで
同年代の森内俊之先生、佐藤康光先生、郷田真隆先生にも実力で追い抜かれていることを認めると
捲土重来とばかりに素行不良の生活を改め、将棋に専念するようになります。
16歳で三段に昇段し、三段リーグも復活してしまいますが12勝4敗で2位となり、同門の中川大輔先生と共に
第一回三段リーグにおける四段昇段者(プロ入り)となるのでした。
先崎学 プロ入り後の戦績
先崎学先生がプロ入り後の戦績ですが、残念ながらタイトル戦への挑戦、獲得はないものの
NHK杯 1回
若獅子戦 1回
の優勝経験があり、竜王戦も最高で1組、順位戦もB級1組の在籍経験がある、実力派の棋士です。
上記以外にも竜王戦挑戦者決定戦、NHK杯準優勝、王位戦挑戦者決定戦進出等の実績もあり
羽生世代の名に違わぬ実力を発揮されていらっしゃいます。
先崎学 棋風
先崎学先生の棋風ですが、無頼流と言われ
基本的には居飛車で、矢倉や相掛かり、角交換、横歩取りなどの居飛車の本格的な差し回しを見せたかと思えば
三間飛車、四間飛車、中飛車等飛車を振ることもあり
定跡に捉われず、盤上の局面に合わせて指し手を変えていく感覚派です。



後述するギャンブルで鍛えた場の空気を読む力に長けているみたいですね。
力戦調の将棋で勝ち負けハッキリ付ける棋風、これからも沢山我々を魅了して欲しいものですね。
先崎学 元うつ病九段 羽生善治との仲 ギャンブルなどのエピソード


先崎学 うつ病を克服して
先崎学先生は2017年の9月~2018年3月まで休場する旨を発表されますが
その期間休場した理由はうつ病の治療であったことを語られています。
先崎学先生がうつ病になった原因として語られていたのは
2016年末に発生した「将棋ソフト不正疑惑事件」でした。
将棋連盟として対応する立場にあった先崎学先生ですが、
そこに飛び込んできた将棋アニメ、三月のライオンの監修に関する仕事。
根が真面目だった先崎学先生は、将棋界にまとわりつこうとする悪いイメージを払しょくしようと
明らかにキャパオーバーの仕事を引き受けてしまい、少しずつ心が蝕まれていきます。
眠れなくなり、将棋に集中出来なくなり…


不幸中の幸いだったのは、先崎学先生の兄、章様が精神科医であったということ。
希死念慮により一線を越えるアクションを起こしてしまうことや
様々な情報を不必要に得て更に病状が悪化するリスクから回避する為に
病院に入院することを勧めたのでした。
お兄様の「必ず治る」という言葉や病院での治療により
2週間ほどで少し元気を取り戻しますが、
と語られているように、感情の浮き沈みが激しい治療期間を過ごされたのでした。
また、将棋も元気だった時は軽々と解けた詰将棋も解けなくなっておりショックも大きかったみたいです。
しかし、復帰前に研究仲間の先生方が練習に付き合って下さったりして少しずつ棋力も回復し
うつ病から約1年を経て、順位戦から対局に復帰されたのでした。



うつ病の症状が良くなったとしても、身体に負担がかかったり、考えることで脳に負担がかかるような対局はやらない方が良い、というのがお兄様の見解だったのですが、棋士として対局したいという先崎先生の執念が上回ったみたいですね。
ただしレアケースな為、本来はあまりオススメしない方法のようです。
個人的にはあまり神様を信じてはいないのですが、
先崎学先生が復帰出来たのはお兄様をはじめ病院の関係者、
そして何より先崎学先生の意志によるものが大きいとは思うのですが
先に旅立ってしまった、同世代の村山聖先生が「借り」を返してくれたのも決して小さくないと思っています。
そんなうつ病の経験を本にされており、NHKではドキュメンタリー番組にもなりました。
うつ病に対する偏見や、うつ病で苦しむ多くの方にとってとても励まされる内容となっています。


うつ病九段 (文春e-book)
うつ病から完全復活 復活の先ちゃんは感動
そんなうつ病から復活し、復帰後の叡王戦で高橋道雄先生と対局され、
初めての勝利で先崎学先生は感極まってしまいます。それが視聴者の心を強く揺さぶるのでした。
14分20秒過ぎからの、感極まるような表情と着手までの間
そしてハッキリは見えないけれども震えているように見える先崎学先生の表情、手つき。
そして着手後の、うんうんと自らを奮い立たせるような表情。
高橋道雄先生が投了したあとの一斉に流れていく先崎学先生へのお祝いメッセージ。
元祖天才の復活は、将棋ファン誰もが待ち望んだ瞬間でした。



順風満帆じゃなくたっていいじゃない…後から振り返ってあれで良かったと思えたならそれでその経験はALL OKだ!
こういう復活劇はダメですね。見ると涙腺がぶっ壊れます(笑)
先崎学 麻雀やパチスロを嗜む生粋のギャンブラー
現在将棋界でも、鈴木大介先生や井出隼平先生が将棋と麻雀の二刀流で活躍されていますが
先崎学先生も麻雀を嗜み、腕も確かだったようです。
プロ雀士やアマチュア強豪等が一同に集う大会
麻雀トライアスロン・雀豪決定戦の第一回大会に出場し
日本屈指の腕前と言われたムツゴロウさん(故・畑正憲さん)を抑えて総合2位に輝かれています。



ムツゴロウさん麻雀めちゃくちゃ強いからね!?その人に勝つってやっぱり勝負師なんですよ、先崎学先生。
ムツゴロウさんの麻雀の強さを示すエピソードも各所で紹介されています。


また、パチスロも奨励会三段時代に中田功先生から教わったそうで
リーチ目の解析等を続けた結果、生涯最高レベルで稼いでいたとのこと。
棋士である前に、勝負師であることがわかりますね。
先崎学 羽生善治との仲
先崎学先生は、羽生世代の他の方々のことを「〇〇先生」と呼びますが、
羽生善治先生のことだけは先生をつけず、書籍等でも「羽生」と露骨に呼び捨てにし、ライバル意識をむき出しにされています。
しかし羽生善治先生と険悪な仲かというと決してそうではなく、羽生善治先生のことについては
一目置き、戦友のような形で見ていることが随所で感じられます。


羽生善治先生と郷田真隆先生の対局の解説を務めていたのは先崎学先生なのですが、
1分過ぎから羽生善治先生の指し手の意図に気づき、更に詰みまで即座に読み切ってしまいます。
更に「天才の詰みです」と恥ずかし気もなくテレビ放映される中で話しているのですから
羽生善治先生と先崎学先生が不仲であるとは考えにくいと思われます。
また、2022年度の王将戦で藤井聡太先生とのタイトル戦を終えた後
朝日新聞にて寄稿した羽生善治先生へのメッセージは
30年以上同じ業界で、同じ世代で頑張っている者同士にしかわからない話で
胸がジーンとなります。


これからうんとくたびれても仲良く将棋を指す羽生善治先生、先崎学先生でいて欲しいものですね。
まとめ
最後までお読み下さりありがとうございました。
羽生世代でも屈指の激動の人生を送られた先崎学先生
優しさゆえうつ病になったものの多くの人を勇気づけられるまで回復した先崎学先生
将棋に文筆にと様々な才能で私達を楽しませてくれる先崎学先生
これからもご健康で将棋を指されて欲しいですし、素敵な文章で私達を楽しませてほしいですね。
先崎学先生の更なるご活躍に期待します。
ダン