島朗 早投げは終わり?島研 再婚し鈴木環那の義父 打倒丸山忠久
島朗先生のこれまでの歩みについて
島朗先生のこれまでのプロ棋士としての実績
島朗先生のエピソードについて
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島朗先生と言えば、現在還暦を迎えながらもC級2組で期待の若手の壁となるべく
奮闘しているベテラン棋士の一人であり
また、初代竜王という今後も名の残り続けるタイトルを獲得した先生の一人でもあります。
今回はそんな島朗先生についてご紹介していきます。
最後までどうぞごゆっくりとお読みくださいませ。
島朗 結婚相手は元ミス川崎? 再婚して鈴木環那の義父?
島朗 結婚相手は元ミス川崎
島朗先生は1989年の竜王戦第一局、川崎市民プラザでの対局の際に
花束を渡されたミス川崎の相沢薫さんとご結婚されます。
しかしご結婚から数十年、奥様の相沢薫さんはガンに蝕まれ
2016年にこの世を去ってしまうこととなりました。
再婚相手は鈴木環那の母親
そこから2018年、島朗先生は女流棋士の鈴木環那先生のお母様と再婚されることとなったのでした。
もともと島朗先生と鈴木環那先生とはやまがた特命観光・つや姫大使をお二人で務められたり
島朗先生は2011年から東北統括本部長として、鈴木環那先生は副本部長として東北地方の将棋普及に努められて来たこともあり
将棋の普及では密接な関係であったことが伺い知れますね。
そんな鈴木環那先生のお父様も、鈴木環那先生が27歳頃にガンでこの世を去っており
お互いが、ガンで大切な人を亡くしたという間柄であったことになります。
結果、島朗先生と鈴木環那先生のお母様が交際をはじめ2018年に島朗先生は鈴木環那先生のお母様と再婚。
戸籍上は島朗先生の娘が鈴木環那先生、鈴木環那先生の義理の父が島朗先生ということになりました。
将棋界でも義理の父娘って関係は初めてなんじゃないでしょうか…
鈴木環那先生が森内俊之の森内チャンネルでも語られています。
お二人の更なるご活躍に期待ですね!
島朗 早投げ 島研 丸山忠久との因縁 エピソード
島朗 早投げ
島朗先生と言えばよく話題になるのが、早投げです。
早投げとは、簡単に言うと早めに投了することで
自分の形勢が悪くなると、盤面を必要以上に醜くしたりせずに
潔く敗北を認める、ということでもあります。
ABEMAの対局を見ていると、形勢が大きく傾いた時に口の悪いファンから「島ならもう投げてる」とよく擦られるネタですね。
投了には特にルールが決まっておらず、対局者に委ねられているのですが
早めに投了することは潔い考え方でもある反面、必要以上の粘りを良しとしない価値観を受け入れることでもあります。
島朗先生は独特の美学の中で前者よりの考え方でした。
しかし後年AIの発達により、投了時やその後の変化までソフトに読ませて解析させてみると
島朗先生が有利な局面が何局も出て来たそうです。
つまり自分が優位な局面であったにも関わらず、大局的に見て不利であったとカンチガイしており
勝てた可能性の高い対局を何局も落としていた、ということになりますね。
そのようなことから、2019年頃に早く投了しないようにすると意気込みを語られています。
盤面を汚さないのも美学なら、勝負に徹して泥臭く勝利を拾いに行くのも美学。
どちらも追及する島朗先生、今後も息の長い活躍を期待したいですね。
島研 名人や永世位の棋士を多数輩出 棋界きっての慧眼
島朗先生と聞いて真っ先に思い浮かべる人も多いであろう、
島研でしょう。
島研は厳密には島朗先生が命名したものではなく、故・米永邦雄先生が名付けたものですが
1980年代頃の将棋界は、将棋の研究=個人で行うもの
と言うイメージがまだまだ根強く、現在のように顔を合わせた研究と言うものは殆ど存在しませんでした。
そんな中島朗先生は自分よりも若手、中には奨励会員だった者までを研究と称して集め、
定期的に将棋を指す共同研究という形で一緒に将棋の研究をし、共に力をつけていくのでした。
そして何を隠そうそのメンバーが、後にタイトルを総なめにしていく
最初は1985年頃、島朗先生と当時奨励会員だった森内俊之先生が研究を始めたそうで、
それを森内俊之先生が佐藤康光先生に紹介し、佐藤康光先生を島朗先生のマンションに連れ込む?ことに成功。
その1年後に羽生善治先生も参加という内容だったようです。
もともと島朗先生が20代前半の頃頻繁に奨励会の例会に顔を出していたのがきっかけだったようで
どちらかというと遊び仲間を探しているような感覚だったそうですが
その中でも人間として素晴らしかったという理由で森内俊之先生、佐藤康光先生を引っ張る訳ですから
やはり島朗先生の慧眼ぶりが目立ちますね。
島研は独特なルールがあり、その一つに
がありました。
島朗先生が秒を読み、奨励会員だった森内俊之先生と佐藤康光先生が指す…
というなかなかに凄い光景が当時はあったみたいですね。
更に羽生善治先生が参加するようになってからは、月に1~2回程度の研究会を定期的に行うようになり
二度と出ないような局面を引っ張り出して1時間近く無言で考える
序盤の研究に重きを置いて定跡化する
ひたすら対局をしまくって基礎体力つくり
と相当に力を入れた研究会であったことが伺い知れます。
その一方で、遊びの要素も取り入れ
一階にあるケーキ屋さんでケーキを買い、お茶を飲みながら研究をしたり
月の対局で負け越しがあると罰金
研究会で連勝するとその罰金の総取り
などハングリー精神?を養うようなルールも採用していました。
実際勝っても支払うような仕組みになっていて、どんどん積立金が溜まっていったようですね…羽生善治先生が旧規定の時に勝ちまくって、積立金を総取りしそうになった時は慌てて規定を変えたりとか…笑
実際にその積立金を使って1泊の旅行に行き、温泉に入って食事をしたもののあまり有難みを感じることなく
結局は早々にカードゲームに興ずるなど、ストイックな研究の中にも遊びの要素が含まれていた
素晴らしい研究会だったみたいですね。
その後主催の島朗先生含む全員が竜王位を獲得し、島朗先生以外の全員が名人位を取っていることからも
如何にその研究での基礎がその後役に立っているのかがわかりますね。
羽生善治とモノポリーに興ずる
1989年の竜王戦で、挑戦者として同じ島研の羽生善治先生と対峙します。
1持将棋を含む8局の死闘の末、3勝4敗で羽生善治先生に竜王位を奪われてしまいますが
竜王戦では対局先に出向く度にモノポリーに興じていたようで
島朗 生い立ち プロ棋士としての戦績
島朗 生い立ち~プロ棋士になるまで
島朗先生は1963年に東京の世田谷区にて誕生します。
将棋を覚えたのは小学生の頃で、当時クラシックギターを習っていた先生が
レッスン終わりに島朗先生を将棋道場に連れて行ってくれたのが始まりです。
そこでは将棋の動かし方等ルールは知っていたものの、なかなか勝てないことにより
また来てみようと思い、そこから将棋に対する熱が高まっていくのでした。
12歳で奨励会に入会すると、14歳で初段、16歳で三段へと昇段し
最後は9連勝にて四段昇段を決めたのでした(旧三段リーグの規定)
島朗 プロ棋士としての戦績
島朗先生のプロ入り後の戦績で最も輝くのはやはり初代竜王でしょう。
ワールドカップの初代王者がウルグアイみたいに、これはもう竜王戦が続く限り永遠に名前が残りますよね…
獲得したタイトルは竜王位1期ですが、タイトル戦には合計で6度出場されています。
また一般棋戦でも4度の優勝経験があり
勝ち抜き戦(5連勝以上) 3回
富士通杯達人戦 1回
となっているほか、
順位戦ではA級通算9期、竜王戦1組通算11期とこちらも高い実績を残されています。
名選手、名監督に非ずとはよく言われたものですが
島朗先生は羽生善治先生他名人経験者を生んだ研究会の創設者としての顔だけでなく
棋士としてもトップクラスの実績を残されたことが伺い知れます。
島朗 棋風
島朗先生の棋風ですが、基本的には居飛車党で
矢倉、相掛かり、横歩取り、角交換など本格派の差し回しをされます。
しかし現在では絶版となった島ノート(2002年発売)にて、振り飛車を詳細に解説しており
振り飛車としての感覚も持ち合わせていらっしゃる稀有な棋風の一人です。
島朗 著書の紹介
純粋なるもの 羽生世代の青春
純粋なるもの: 羽生世代の青春
島研のメンバー、羽生善治先生だけでなく森内俊之先生、佐藤康光先生など
羽生世代のことが多面的に描かれています。
羽生世代の兄貴分だったからこそわかる、羽生世代の世界観ですね。
角換わり腰掛け銀研究
角換わり腰掛け銀研究 (プレミアムブックス版)
角換わり腰掛銀と言えば、現在のタイトル戦でも頻繁に指されることの多い戦型ですね。
その研究について書かれた一冊です。
まとめ
本日も最後までお読み下さりありがとうございました。
島研の創始者である、名人経験者を複数名輩出した慧眼島朗先生
PC研究をいち早く研究に取り入れ、現在の基礎を作った島朗先生
初代竜王として永遠に名を刻む島朗先生
これからも島朗先生の更なるご活躍を応援します。
ダン
コメント
コメント一覧 (1件)
[…] 島朗先生のご自宅で複数の棋士を交えて再度意見交換を行います。 […]