高田明浩 結婚は?遅刻と戦う 父は国語教室経営 けん玉が得意

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高田明浩 結婚は?遅刻と戦う 父は国語教室経営 けん玉が得意

今回の記事でお伝えしたいこと

高田明浩先生のこれまでの歩みについて

高田明浩先生のプロ棋士の実績について

高田明浩先生のエピソード

 

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高田明浩先生と言えば岐阜県在住者として初のプロ棋士であり

藤井聡太先生と同世代で、早くから東海地方では顔を合わせていた存在でした。

先日は宮嶋健太先生も岐阜県在住者として二例目のプロ棋士となり、

今密かに岐阜県の将棋熱が高い状況になっています。

ダン

同じく岐阜県で生まれ育ち、20年以上過ごしたダンも本当に嬉しい!

今回はそんな岐阜県の希望の星、高田明浩先生について紹介致します。

最後までごゆっくりとお読みくださいませ。

目次

高田明浩 結婚は? 遅刻は大阪で一人暮らしを始めてから

高田明浩 結婚は?

高田明浩先生は2002年生まれの先生で、2023年現在で21歳となります。

若くしてプロ棋士になられ、非常に愛嬌のある先生ですので人気も高いと思います。

気になる恋愛事情・結婚事情ですが

2023年時点でご結婚はされていません。

ちなみに高田明浩先生は奨励会時代に

22歳までに結婚したい

 

と思われていたようで、当時の目標として

16歳でプロ棋士になり、そこから5年後くらいに結婚することを掲げていたそうです。

後述しますが高田明浩先生のプロ入りは18歳を過ぎてからですので、そこから約5年後となると

24歳前後ということになります。

当時のインタビューではお相手がいないことを語られていましたが

お若くて出会いの場もそれなりにあるでしょうから、若くして結婚は十分に考えられそうですね。

現在は大阪高槻市で一人暮らし

そんな高田明浩先生ですが、2022年より地元の岐阜県を離れ

大阪府高槻市にて一人暮らしをされていらっしゃいます。

 

岐阜県にいることで自然体で生活することが出来る良さもある反面

将棋の研究や、練習対局のパートナー探し等でどうしても将棋の本拠地である東京や大阪と比較すると

遅れを取ってしまう側面があり

まさに棋士として伸び盛りであることを考えると

より将棋に集中出来る環境の方が良いと考えられたのでしょう。

師匠である森信雄先生も過去のインタビューで

切羽詰まっていないから地元にいることが出来て、降級点を取ったらそんなことも言えなくなること

地元にいることで持ち上げられすぎることが将棋にプラスにならないのではないか

若いからそのうち勝てるだろうと危機感がないままいるのはよくない

 

と語られており、もしかしたら高田明浩先生の中でもそのような気持ちが芽生えられたのかもしれませんね。

遅刻の常習

そんな高田明浩先生ですが、対局の際の遅刻が多く

奨励会時代からも5分~10分程遅刻することがあり、注意を受けることがあったようです。

デビューから3連勝で迎えた4局目、奨励会幹事でもあった西川和宏先生との対局の際に

事件は起こります。

なんと、対局時間から5分過ぎた状態で目が覚めてしまったのでした。

近くのホテルにいたこともありそこから対局場に向かい、結果46分遅れでの対局開始となります。

 

振り駒の結果高田明浩先生の先手となり、そこから千日手が成立、指し直しとなりますが

先後逆となった対局で西川和宏先生から勝利を収め、デビューから4連勝となったのでした。

奨励会時代にも時間のルーズさを西川和宏先生から注意されていた高田明浩先生、

今回の対局ではその幹事の先生相手に遅刻してしまいやはり「気を付けて」と注意されたのでした。

そして先日の対局でも再び遅刻をしてしまいます。

遅刻の常習犯と言えば某行方先生を連想しますが、若くしてこれは…と思わされます。

Twitter(X)での発言を見ていても、遅刻に対する考え方をやや軽視しているような言動が散見され

ファンからも「その考え方を改めないとまた遅刻するよ」と苦言のリプライを頂戴している状況です。

ダン

これにはダンも同意です。西川和宏先生の対局では、遅刻したけど1時間以内に行けば負けにはならない…と言う思いで対局したとやや美談ぽい話になっているのですが、そもそも遅刻を繰り返す時点で論外なんですよね…

度胸の良さと時間を厳守することは両立可能なはずです。

 

特に西川和宏先生との対局の際の遅刻は

夜遅くまで将棋のオンライン対局に興じていたこと

マンガを読んでいたこと

目覚ましのセットを忘れていた

 

が原因であることを語られており、翌日対局に臨む棋士としての心構えとしては甘いと言わざるを得ないですね。

現在のトップ棋士の方々で、頻繁に遅刻されるような方は一人もいないはずで

将棋の強い弱い以前に人間としての課題なのではないでしょうか。

今後長期的に見てタイトル戦線に顔を出す可能性がある程の才能があるからこそ

盤面以外の細事にも拘って欲しいという思いで一杯です。

折角の才能が花開くことなく、平凡な一棋士として終わってしまってはあまりに勿体ないですよね。

まだまだお若く将来のある先生ですので、ここからの巻き返しに期待したいところです。

高田明浩 生い立ち プロ棋士としての戦績

高田明浩 生い立ち プロ棋士になるまで

高田明浩先生は2002年に、岐阜県の各務原市にて誕生致します。

将棋との出会いは小学校3年生で、将棋普及の指導員でもある柴山芳之さんが自宅に来て指導してくれたことがきっかけで将棋に興味を持ちます。

そのまま小学校3年生時に東海研修会に入会し、

小学校6年生時には小学生将棋名人戦にて準優勝の成績を収め、奨励会に入会します。

順調に昇級を重ね、15歳で初段、17歳で三段に昇段すると

三段リーグでは2期目に13勝5敗の成績で2位となり、井田明宏先生とアキヒロコンビで

18歳にて四段昇段(プロ入り)を決めたのでした。

高田明浩 プロ棋士としての戦績

高田明浩先生はプロ入りから3年目と言うことで

現在大きな戦績はなく、順位戦はC級2組、竜王戦は5組に在籍となっています。

これから更なる活躍に期待し、こちらの欄もギッシリ実績で埋められるようになって欲しいですね。

高田明浩 棋風

高田明浩先生は居飛車党で、もともとは兄弟子でもある糸谷哲郎先生に憧れ右玉を得意戦法としておりました。

右玉に関する著書も2022年に執筆されていらっしゃいます。


高田明浩の右玉新時代 (マイナビ将棋BOOKS)

奨励会時代もひたすら右玉を中心として指しており、周囲からも他の戦法を指すよう促されたこともあったようですが

初段までは右玉で進め、伸び悩んでからは少しずつ他の指し方も学ぶようになり、三段リーグを突破すると

プロ入りした現在では振り飛車も指すようなオールラウンダーとしての顔も見せるようになりました。

これからも様々な戦法で強豪棋士を破り、更に高いステージで対局出来るようになって欲しいですね。

高田明浩 父と母 藤井聡太 けん玉 エピソード

高田明浩 父高田浩史は国語教室の先生

高田明浩先生のお父様ですが、高田浩史さんとおっしゃり

高田明浩先生が生まれた岐阜県の各務原市で

主に国語・作文の指導を行う教室を経営されています。

本質的な学びを得ることで、岐阜県内の有数進学校へ進学される生徒さんもいらっしゃるようですね。

 

お父様は大阪大学にて環境工学を学ばれた後、岐阜県庁にて環境行政に携わった後

名古屋大学の教育学部にて学びながら、高校の教師になられ

現在に至るというなかなかにユニークな経歴をお持ちです。

子供支援の活動も行っており、男女が輝く21世紀都市作り審議会委員も務める等

マルチな才能を地元で発揮されているようです。

また、国語教室では子ども向けの将棋教室も開いているようで

ご子息である高田明浩先生だけでなく、岐阜県にゆかりのある女流棋士の先生も来られるようです。

高田明浩先生が小学生時代は野球をやられていたようで、

当時阪神タイガースで主力選手だった鳥谷敦選手のことが好きだったようです。

 

高田明浩先生がまだ小学生だった頃、通学前に近くの公園で一緒に野球の練習をした優しいお父様。

児童教育を大学で学び直しされる程熱意をもって取り組んでいらっしゃるのですから

ご子息である高田明浩先生にも沢山の愛情を注いで育てて来られたことは容易に想像がつきますね。

また奨励会時代まだ級位だった頃の高田明浩先生、

関西将棋会館の棋士室に行っても指してくれる奨励会の先輩会員は少なかったようですが、

大阪にあるかなきち道場主催、アマ強豪の木村秀利さんから指導を受けたことが大変プラスになったことを語られていました。

しかしお父様はそこではなく、木村秀利さんから言われた

やる気のある子なら強さに関係なく練習相手になるが、プロになっても今と同じように指してほしい」

という約束を高田明浩先生がしっかりと守り、奨励会の段位になられた時も不遜な態度を取らず

級位者や、女流棋士の先生の練習相手になったことを喜ばれていたのでした。

ダン

将棋の強い弱いだけでなくちゃんとお世話になった方とのご縁や、礼節を大事にされている感じが凄く伝わるんですよね。お父様はとても素晴らしい教育者だと思います。

母は武道家!?元テコンドー日本チャンピオン

そんな穏やかなお父様高田浩史様ですが、お母様の高田乃理子さんは何と正反対のアスリートで

テコンドーの元競技者。

2014年にはなんとテコンドーの全国大会で優勝経験もあるテコンドー界のスターだったのです。

 

しかも自衛隊防衛事務官でもあり、お父様とは毛色が異なるタイプであることが伺えますね。

 

もともとは高田明浩先生の体力つくりの為に通っていたテコンドー道場ですが、

送り迎えの待ち時間が退屈で自分も

というポジティブ思考で競技をはじめ、チャンピオンにまで登り詰めたのでした。

結果高田明浩先生はテコンドーを辞めてしまうのですが、息子が辞めても競技を続けるお母様の意志の強さは、

右玉ばかりではダメだと言われても限界まで貫いた

高田明浩先生の意志の強さにもしっかりと引き継がれていますね。

特技はけん玉

高田明浩先生の特技の一つにけん玉があり、各務原市長にプロ入りを報告に行った際も腕前を披露されています。

(4分30秒~けん玉の実技があります)

けん玉をやるようになってから集中力が上がったと語る高田明浩先生。

将棋でも引き続きけん玉で培った集中力を活かして欲しいものですね。

藤井聡太に右玉で三連勝

まだ高田明浩先生が奨励会に入りたてだった頃、稲葉陽先生のお兄様である稲葉聡先生から

研究会に誘われ、そこで当時2級の藤井聡太先生と対峙します。

過去には東海研修会でも顔を合わせたことはあったのですが、指す間もなく藤井聡太先生が

奨励会に入会してしまった為、指すのは初めてだったそうです。

そこで高田明浩先生、得意の右玉を藤井聡太先生にぶつけると早指しながら藤井聡太先生を追い込んで勝利。

その後月に一回定期的に研究会は行われるのですが、

右玉で藤井聡太先生に三連勝し、藤井聡太先生を不機嫌にさせるなど当時から右玉の威力は光るものがあったようです。

 

しかし当初は右玉で藤井聡太先生相手に勝率約6割と高かったものの、

ジワジワと藤井聡太先生が右玉対策を身に着けてくると立場は逆転、

最終的には3割程の勝率となってしまうのでした。

現在は同年代の藤井聡太先生が実績で大きく溝を空けている状況ですが

いつかタイトル戦で高田明浩先生が右玉で藤井聡太先生に挑戦する姿を見てみたいものですね。

実は名門!?鶯谷高校

高田明浩先生は県立各務原高校の出身ですが近年少しずつ岐阜県出身の棋士、女流棋士が輩出されており

それが同じ岐阜県内にある鶯谷高校出身者であるということは見逃せません。

実は鶯谷高校、男子、女子共に全国大会での優勝実績のある名門でもあります。

ダン

私立の中高一貫校としても岐阜県屈指の進学実績を誇り、岐阜県有数の進学校を受験する際の併願校としても不動の地位を築いているよ。ダニコウと岐阜の人は言ったりしますね。

 

鶯谷高校出身の棋士の先生は

宮嶋健太先生(先日四段昇段)

岩佐美帆子先生(師匠が豊島将之先生

山口仁子梨・山口稀良莉姉妹

となっており、近年いずれも10代~20代の先生を輩出されています。

将棋部には元奨励会員の方も在籍していることがあるなど、岐阜県の将棋の腕に覚えのある方は

鶯谷高校に在籍する傾向が近年あるのかもしれません。

また、2023年に女流棋士(LPSA所属)となった

磯谷祐維先生とは同じ各務原市内の鵜沼地区出身で面識もあり

名古屋市栄にある将棋道場に通われて、対局もされていたようです。

ダン

小学校四年生の頃から既に一人で電車に乗って道場に通う磯谷祐維先生の姿を見て、高田明浩先生も一人で道場に通ったり、大会に出るようになったみたいですよ。

 

藤井聡太フィーバーが起き、東海地方に念願のタイトルはおろか、8冠全てが揃う事態となりましたが

実は同年代も性別を問わず着々と力を付けて来ており、やがて東京や関西と並んで

棋士が生まれる一大拠点となってもおかしくなさそうですね。

藤井聡太先生の生まれ育った愛知県だけでなく、そのお隣の岐阜も将棋が盛り上がることに期待しています。

まとめ

最後までご覧頂きありがとうございました。

今回の記事でお伝えしたかった事

岐阜県在住者初のプロ棋士として期待の高田明浩先生

ご両親に温かく見守られて育ち、優しくて周囲からも好かれる高田明浩先生

遅刻等の改善が見られれば、更なる飛躍が期待出来る高田明浩先生

楽笑という座右の銘通り将棋を楽しく、笑いの絶えない日々を過ごされながら

高田明浩先生の将棋での更なるご活躍を願って応援します。

ダン

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