飯島栄治先生のエピソードについて
飯島栄治先生の生い立ちとプロ棋士になるまで
飯島栄治先生のプロ棋士後の成績について
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飯島栄治先生と言えば、対局の解説時における人気はトップクラスで
軽妙な語り口調と、要所要所で発する
「すごくないですか?」が鉄板ネタの人気棋士の一人です。
今回はそんな飯島栄治先生についてブログにてご紹介いたします。
どうぞ最後までごゆっくりとお読みくださいませ。
すごくないですかの由来 凄八 凄十 エピソード
すごくないですか 由来
飯島栄治先生を語る上で欠かせないエピソードの一つが「すごくないですか?」と言う口癖でしょう。
この由来ですが、飯島栄治先生が何かとエピソードを挙げて話す際、同意を得る為に相手に
「すごくないですか?」と語りかけることが始まりです。
それを面白がった視聴者の人が、将棋界で何かアッと驚くようなことが起きたりすると
口癖のように「すごくないですか?」とネタにするようになりました。
藤井聡太先生が偉大な記録を打ち立てたり、想像の斜め上の手を指したりすると大体一回は言われますよね。ある意味将棋界の共通言語?になりつつあるようで、それはそれで すごくないですか? 面白いなと見ていて思います。
凄八 凄八シール
そのように将棋界において誰もが驚く手が見つかる度に、ネタとして擦られ続けるようになり
すごくないですか?に加えて、飯島栄治先生が八段であることも相まって
というあだ名が飯島栄治先生にめでたく?進呈されることとなりました。
シンプルですけどパンチ力がある…!
そしてそんな凄八人気?にあやかってか飯島栄治先生、なんと
凄八ステッカーを制作し、各所にバラまきます。
残念ながら一般販売はされていないようで、ご本人が手配りされているようですが
仲良しの木村一基先生は貰った凄八シールについて一言…
同業である棋士の先生からの反応は上々?のようです。
当時名人だった方から痛烈な一言を頂いてしまうのでした…
凄十からのオファー
そしてそんな凄八先生こと飯島栄治先生に、なんと予想外の業界からオファーがかかります。
それが医薬品業界で、宝仙堂の栄養ドリンクである「凄十」のCM出演。
凄八から一気に二段昇段して凄十になりました。
丸山忠久先生のカロリーメイト並のインパクト…
将棋棋士の飲食関係のCMと言えば
藤井聡太先生の綾鷹、羽生善治先生のinゼリーやブルガリアヨーグルト、そして丸山忠久先生のカロリーメイトが有名ですが
凄十CM出演により飯島栄治先生も彼らと肩を並べる存在に…!
これって
すごくないですか?
ちなみに上記3人は全員名人経験者ですから、飯島栄治先生のCM出演価値?は名人クラスと言うことになります。やっぱりすごくないですか?
今でこそ将棋めしがクローズアップされるようになり、注目されるようになりましたが
そもそも棋士が何かを飲んだり食べたりするシーンは一般の人にとってはイメージしにくいのが実情。
そのような中で凄八という二つ名を自らのものにしようと積極的に受け入れ、
更に泥臭く普及し続けたことで転がり込んできた大役。
飯島栄治先生の努力の賜物としか言えませんね。
ひふみんに敗北
そんな飯島栄治先生ですが、あの加藤一二三先生が現役最後の勝利を挙げた際の対局相手としても有名です。
2017年1月20日、その前の対局で引退が決定していたレジェンド加藤一二三先生と
当時B級1組に所属していた飯島栄治先生が棋聖戦の二次予選で激突。
御年77歳であった加藤一二三先生、引退が決まっていましたが
残りの対局も全力で臨むという意気込みからか終始力強い差し回しで飯島栄治先生を圧倒
飯島栄治先生を投了に追い込み、史上最年長勝利記録を更新されたのでした。
ちなみにこの敗北は飯島栄治先生にとってはショッキングだったようで、
木村一基先生や行方尚史先生、野月浩貴先生の飲み会の席に呼ばれた際でも落ち込まれていたようです。
また、加藤一二三先生に敗北してから
約一か月後に飯島栄治先生と会った聞き手のエース貞升南先生が
自身も初の外国人女流棋士となったカロリーナさんに対局で敗れたことなどを伝えると
(2分15秒~)
とまさかの宣戦布告?をされたのでした…
だから男性棋士は貞升南先生になら何言ってもいいやと思ってる節があると何度言えば!
凄八と言い、飯島栄治先生は自身へのネタに対する執着は物凄いものを感じますね…
叡王戦どうされましたか
とは言え飯島栄治先生の存在を一躍有名にしたものは凄八ネタではあるものの
その前にあるネタで将棋界界隈ではネタになっていました。
そのネタになった相手が弟弟子でもある村山慈明先生。
2015年、叡王戦に出場し、兄弟弟子対決となった飯島栄治先生と村山慈明先生。
結果村山慈明先生の勝利で終わりますが、問題はここから始まります。
一か月後、飯島栄治先生の研究会に参加していた村山慈明先生。
研究会の合間に何気なく雑談で出た叡王戦のネタで話が進み、
なんと負かしてしまった兄弟子の飯島栄治先生に
ととんでもない煽りをしてしまいます。
思わずあんただよ、あんた、と答えた飯島栄治先生。
ああっ!!!
と事の重大さに気づいた村山慈明先生。
研究会中に噴き出す地球代表深浦康市先生。
と、冷静に考えれば地獄絵図なのですが、これをニコ生で飯島栄治先生がネタとして喋ったことで
一気に話題が沸騰。
しまいには2015年の大晦日の企画で、因縁の一局として
飯島栄治先生と村山慈明先生の対局が組まれたのでした。
対局前から両社による舌戦?が繰り広げられ
結果は飯島栄治先生の勝利に終わりました。
将棋界では珍しいプロレス?企画だったそうで、セリフなどについては独自のものではなく
ドワンゴ側から提示された台本ありきのものだったようです。(対局に関しては仕込みなし)
村山慈明先生は弱い方のダイスケ事件はじめ棋界屈指の失言王ですから…
何かとこういう話題に事欠かないのも、飯島栄治先生の魅力ですね。
深夜A時
飯島栄治先生のエンターテイナーぶりは凄八だけでとどまらず
凄八の二つ名を頂く前は、あの佐藤紳哉先生と週刊将棋の中でユニット「深夜A時」を結成していました。
※凄八の前は、栄治→A時→Aちゃんと呼ばれていた時期もあります。
エンターテイナーとエンターテイナーの融合ということもあり
将棋界では極めて珍しいユニット結成。
当時はまだすごくないですか?がメジャーではなかった為、佐藤紳哉先生のノリに
飯島栄治先生が付いていっていた、というのが棋風でした。
暫く活動はされていませんでしたが、2023年に10年ぶりに期間限定復活をされています。
序盤・中盤・終盤と隙がなく、駒達(主に桂)が躍動するコンビ、すごくないですか?
ご家族
飯島栄治先生は2007年に一般の方である麻也子さんと婚約、2008年に結婚されており
2009年にはご子息が誕生されており、2013年には双子のお子様(ご子息・ご息女様)が誕生し
現在3人のお子様の父親という立場でもあります。
ちなみに馴れ初めについてですが、もともとはイトシンこと伊藤真吾先生が参加予定だった合コンに
急遽参加出来なくなってしまい、代打として飯島栄治先生に打診した所、そこで出会った麻也子さんと
飯島栄治先生が交際・結婚に繋がったということになります。
不思議な縁もあるものですね。
奥様である麻也子さんは一般の方なので詳細は省きますが、新潟県出身の方で
新潟大学を卒業した才媛である様子が伺えます。
ちなみに飯島栄治先生は義理堅く、
後年伊藤真吾先生を含めた男性棋士5名と女性のマンガアシスタント5名の合コンをセッティングし、
今度はそこで出会った嫁Pさんとイトシン先生が結婚されています。
嫁Pさんはイトシン先生のyoutubeチャンネルで主に編集をされていらっしゃいます。
将棋×アート
と言うのは結構相性が良いのかもしれませんね。
飯島流引き角 ミス日本も採用!?
ミス日本2024 有馬佳奈
2024年になって将棋界を驚かせたのは、棋士ではなくなんとミス日本の出場者の方でした。
その名も有馬佳奈さんで、鹿児島県の甲南高校から東京大学へ進学し
現在航空宇宙工学を学んでいらっしゃいます。
これだけであれば将棋界にとっては何もインパクトがないのですが、
驚きなのはその有馬佳奈さんが2024ミス日本「海の日」を受賞したことで
プロフィールが注目されたこと。
なんと有馬佳奈さんの趣味が将棋であり、しかも3度全国大会に出場した経験があるということ。
有馬佳奈さんが通われていた高校のHPにもその旨が記録に残っていますね。
それだけでも驚きなのが、更に将棋ファンを歓喜の渦に巻き込んだのが
有馬佳奈さんの得意戦法が「飯島流引き角戦法」であったこと。
世間一般では意味がわからない話だと思うんですが、将棋界でこの話題が出たら、物凄い熱量で歓迎されるんですよね…
有馬佳奈さんもX(Twitter)の中でその旨発言されていらっしゃいます。
引き角女子…2024年の将棋界はまた新たなカテゴリを、それもミス日本の方が作ってしまいました。
女性の将棋愛好家の方が、自信たっぷりに「引き角女子です」と公言出来る土台が出来てしまいました…
本家引き角男子も当然反応
ミス日本「海の日」に輝いた有馬佳奈さんが引き角女子と言うフレーズを発して下さったことにより
にわかにざわめき立つ将棋界。
そして、「飯島流」の引き角であることも見逃せません。
そして、凄八すら自らのネタとしてコンテンツ化させた棋界のコンテンツ巨人が
千載一遇のチャンスを見逃すハズがありません。
意気揚々とこの話題に参戦します。
厳密にはミス日本が引き角を採用していた将棋の愛好家だったんですけどね…
そしてこの方も参戦。
凄八シールの必要性を感じなかった渡辺明先生も、流石にこれはこのツッコミを入れるしかなかったようです。
藤井聡太先生、羽生善治先生をはじめとした棋士の活躍、人気により
将棋が趣味、ということをこれまで以上にオープンに語れる風潮になってきていますが
ミス日本という注目度の高い場で、自らが研究の上編み出した戦法を語って頂ける程
名誉なことは棋士にとってはないでしょう。
冗談じゃなく名人になるくらい凄いことだと思っています。
将棋界としては是が非でも有馬佳奈さんと飯島栄治先生、
または「藤井システム」用の棋風である為、その元祖である藤井猛先生との
対局を実現させてほしいと願っています(笑)
ちなみに引き角に関する書籍は幾つか出されていますので紹介します。
堅陣で勝つ!飯島流引き角戦法 Final (マイナビ将棋BOOKS)
飯島流引き角戦法 MYCOM将棋ブックス/飯島栄治著
対振りの秘策 完全版 飯島流引き角戦法 (マイナビ将棋文庫)
ミス日本の方が、もしかしたら自著を読んで学ばれたのかもしれない…
そんなことを想像すると滅茶苦茶ロマンに溢れますね!
追記 どうやらあっさりコラボが実現してしまったようです。
いや、どう考えても棋士がミス日本の方とコラボする方が凄いと思うんですが…
写真を見る限りどう見ても飯島栄治先生の方が緊張されているように感じて、
なんというか良い意味で一般人的な感覚をお持ちでそれがまた良いなぁと感じてしまうのでした。
飯島栄治 生い立ち~プロ棋士としての成績
生い立ち~プロ棋士になるまで
飯島栄治先生は1979年に、東京都江東区で誕生します。
将棋を始められたのは幼稚園の年長の頃(5~6歳)で、庭に出て遊ぼうとした所
急遽雨が降って来てしまい、室内で遊べるようにと園長先生が
将棋、囲碁、オセロを持ってきて下さり、その中で将棋に魅力を感じたのが始まりです。
残念ながら対局では園長先生に負けてしまい、
悔しくて泣いてしまった飯島栄治少年ですが、自宅に帰り父親に話すと
そこからは将棋に多少腕のある(自称アマチュア初段)父親と毎日のように将棋を指すことに。
ご実家は蕎麦屋さんで、空き時間が出来るとテーブルを使って父親と将棋を指すようになったようです。
その後道場に通うようになり着実に力を付けていくと、
小学校6年時の小学生将棋名人戦で準優勝し、これをきっかけに奨励会を志すようになります。
16歳で初段、19歳で三段と着実に昇段を重ねていくと四期目、13勝5敗という成績で2位となり、
渡辺明先生と共に2000年4月に四段昇段(プロ棋士)となりました。
プロ棋士になってからの成績
プロ入り後の飯島栄治先生の成績ですが
プロ入りしてから棋戦やタイトル戦での優勝経験はありません。
しかし順位戦は最高でB級1組、竜王戦は1組と実力は確かで
タイトル戦では
竜王戦ベスト4(2012年)
王将リーグ入り(2012年)
王座戦ベスト4(2021年)
王位リーグ入り(2024年)
となっており、特に年齢が30前後から40代になってから成績が向上していることがポイントです。
※一般的に棋士は30代を過ぎると次第に棋力が衰えると言われている
B級1組に昇級した際は36歳であり、王位戦のリーグ入りも44歳にして初ということを考えると
年齢を言い訳には出来ない、ということを教えてくれますね。
棋風
飯島栄治先生の棋風は居飛車党で、基本的には横歩取りや角交換、相掛かり、相矢倉等の本格的な差し回しを見せ
先手の場合は相掛かりからの6八玉型を好んで指します。
居飛車党らしく直線的な攻めが特徴で、ノーガードでの打ち合いや大駒を切って更に攻める等
華麗な手を見せることもある反面、相手が振り飛車の場合は
居飛車穴熊としたり、引き角戦法を取る等固さを主張した差し回しをすることもあります。
飯島流引き角戦法
ミス日本の有馬佳奈さんが発したことで一躍注目されるようになった
飯島流引き角戦法について解説をします。
特徴としては
角道上にある歩を指さず、角道を空けない
左銀を上げ、開いた地点に角を引く(先手7九、後手3一の地点)
の二つがあり、主に後手番で指す機会の多い戦法となります。
一例を紹介します。
先手
後手
有名なのは後手側ですが、引き角戦法は主に振り飛車を相手に用いる為の戦法で
当時猛威を振るった居飛車穴熊の特効薬、藤井システム対策として考案されました。
角を引いた後、居飛車側は左美濃に駒組を進めていき
角は一旦▲5七、△5三の地点に顔を出し出方を伺うことが多いのですが
このメリットとして
角道を空けないことで相手の角の睨みを軽減出来る(角交換や角交換振り飛車を指せない)
奇襲を意図する相手に対し持久戦へ誘導することが出来る為、相手の攻め筋がなくなる
ことが挙げられます。
穴熊に組ませない為の奇襲戦法が藤井システムなら、奇襲を意図してもそうさせないように囲めばいい。飯島栄治先生渾身のアンサーですね。
そしてこの引き角戦法は、羽生善治先生も2006年の朝日杯にて採用したことがあり
(相手は藤井システムの創始者藤井猛先生)
更に2010年には優れた定跡研究を行った棋士に送られる升田幸三賞を受賞しています。
すごくないですか?
天才的な発明に対しての対策が認められる、というのは
ハッカーが見つけた脆弱性に対し、有効な手立てを打ちだすことが出来たと言うこと。
フェルマーの最終定理のような美しささえ感じてしまいますね。
藤井猛が藤井システムなら、飯島栄治は飯島流引き角。
二つ名に自身の戦法が付く棋士、AIの発達によってこれから更に少なくなるだろうことを考えると
改めてその凄さが浮き立ちますね。
勉強会で多くの棋士と交流 多くの人が慕う人間性
自宅に多くの棋士を呼ぶ
飯島栄治先生は多くの棋士と交流がありますが、その理由としては
自宅に研究スペースがあり、そこに多くの棋士が足を運んだからだと言えます。
代表的な所で言うと木村一基先生や深浦康市先生、佐々木大地先生と研究をされる機会が多いようですが
それ以外にも近藤誠也先生、八代君弥先生、梶浦君宏孝先生等の名前も挙がり
奨励会の頃の増田康宏先生、更には藤井聡太先生、
そして永瀬拓矢先生も長く研究会に参加して下さったようです。
藤井聡太先生は当時13歳、奨励会三段時に対局した際飯島栄治先生はB級1組。
実力で考えれば、相撲でいう幕下力士と関脇くらいの差があってもおかしくないですが
結果は藤井聡太先生が勝利。
もうダメだ…と落ち込まれたようですが、周りを見渡すと他の棋士も同様に敗れていたことから
それだけ当時の藤井聡太先生が際立っていたことがわかりますね。
米長邦雄の教えを参考に
研究会と言えば一般的には歳の近い棋士で行うことが多く、
一世代以上歳の離れた方と研究を行うことはどちらかというと少数派です。
それでも飯島栄治先生から見て若手の方と研究会を行うようになった理由としては、偉大な棋士である
故・米長邦雄先生の
と言う言葉を参考にした、ということだそうです。
実際に若手の棋士から学ぶことも多く、永瀬拓矢先生は変な忖度をせず
そういう手は今は誰も指しません、と年齢関係なくハッキリ言って下さるようで
そういう若手を遠ざけず、自分の棋力向上の糧として吸収しようと言う人間性が
多くの方が研究会に参加して下さる理由なのかもしれません。
研究会の記録は確実に
研究会は飯島栄治先生のご自宅にある和室で行われることが多いのですが
ここには趣味の駒集めで集めた書体の異なる立派な彫り駒が集い、それらを利用して研究会に励まれているようです。
大名人大山康晴先生も、上達したかったら良い駒と将棋盤を使え、と仰せでしたから理に適ってますね。
そして不公平がないよう先後交代で1局ずつ指し、それをきちんとノートに記録として残す程几帳面なようで
現在はそのノートが十数冊にものぼるようですね。
飯島栄治先生はどちらかと言うとコンピューターの研究ではなく
研究会のような場で、人と指して自身の感性や考え方を磨く方が身に合っていると考えているようです。
棋譜並べのような過去の棋譜を並べて知見を得る、というのはあまり有用では考えていないようで
あまり積極的には取り組んでいません。
古いタイプの棋士と自身では語られていますが、実際は現実的な感覚もあってバランスが取れていると思います。
まとめ
最後までご覧頂きありがとうございました。
ミス日本の趣味で話題になる飯島栄治先生、凄くないですか
30代から着実に力をつけてきている飯島栄治先生、凄くないですか
研究会はじめ多くの棋士から慕われている飯島栄治先生の人間性、凄くないですか
これからも更なる飯島栄治先生のご活躍を心から願っています。
ダン
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