岩城慶太郎 経歴や学歴は? アステナHDの社長が珠洲市移住した理由

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履歴書の写真

 

先日のガイアの夜明けにて出演された、アステナホールディングスの社長でもある岩城慶太郎氏。

2024年の元旦に、能登地方を襲った大きな地震の中で

本社機能の一部を珠洲市に移転した、アステナホールディングスの代表としての奮闘ぶりが

放送されており、多くの方の心を揺さぶる内容でしたね。

今回はそのアステナホールディングスの社長である岩城慶太郎氏の経歴について調べてみました。

どうぞ最後までごゆっくりとお読みくださいませ。

目次

岩城慶太郎 学歴と経歴について

慶応義塾大学卒業の高学歴

岩城慶太郎さんは、中学校から慶應義塾大学の付属校である

慶応義塾中等部に通い、そのまま慶應義塾高校、慶應義塾大学とエスカレーター式に進学されています。

そして慶應義塾大学の総合政策部を卒業されています。

ダン

高学歴!

総合政策学部とは何を学ぶところ?

慶應義塾大学の総合政策学部生は、いわゆる日吉キャンパス(横浜)や三田キャンパス(港区)ではなく、

慶應義塾大学のキャンパスの中でも都心からやや離れた、

神奈川県藤沢市にある湘南藤沢キャンパス(SFC)にて学びます。

湘南の海

そんな慶應義塾大学の総合政策学部の特徴ですが、公式HPにて

自分で自分の学習目標に合った時間割を自由に組むことができます。日本の多くの大学では、決められたコースの中で、学年ごとに基礎から専門へと知識を積み上げていきますが、SFCの授業科目は学年別に配列されておらず、本人の意思で必要な科目を必要なときに履修できるようになっています。

SFCの各研究室では、企業との共同研究や官公庁からの委託研究など、実践的・先端的な研究活動も行っており、学生はそれらに参加して実社会の現実問題に取り組み、高度な専門性に裏付けられた「実践知」を身につけます。
出典:https://www.sfc.keio.ac.jp/about_sfc/pmei.html

 

と紹介されていることから

学問の目的を自ら定義し、教えられるのではなく主体的に学ぶ

正解を覚えるのではなく世の中の課題、社会的な課題についての解決策を立案・実行していく

ことを大切にされている様子が伺えますね。

同学部のOBにはビジネス界でも著名な方が多くおり

日高裕介(サイバーエージェント 副社長)

山口絵理子(マザーハウス社長)

佐々木紀彦(NewsPicks 編集長)

二階堂ふみ(女優)

たかまつなな(ジャーナリスト)

はじめ多くの人材が活躍されています。

慶應義塾大学卒業後アクセンチュアへ

岩城慶太郎さんは慶應義塾大学を卒業後、アクセンチュアへ入社します。

アクセンチュアとは、コンサルタントが多数在籍するコンサルティングファームと呼ばれる会社で、

現在では世界に約71万人の方が働いている世界最大のコンサルティングファームとなっています。

 

そこで2002年に新卒として入社した岩城慶太郎さんは

2005年に現在のアステナホールディングスに入社するまでの間コンサルタントとして働かれます。

後述しますがもともと岩城慶太郎さんの家業が、アステナホールディングスの前身であるイワキ株式会社であり

そのまま入社するのではなく短期間で大きく成長出来る仕事を、と考えた時に

コンサルタントが選択肢として浮かんだそうです。

ダン

慶應義塾大学総合政策学部で培った「自ら考える」と言うところとコンサルタントは相性も良さそうですね。

アクセンチュアを退職し、家業に入社

そして2005年、アクセンチュアを退職し家業であるアステナホールディングスに入社しました。

家業とは言え上場企業ですから、いきなり社長になった訳ではなく

07年に取締役医薬品部門長、15年に副社長と着実にステップアップして

2017年から現職である社長業を父である岩城修さんから引き継ぐこととなりました。

入社されてからのプロフィールをまとめました。

岩城慶太郎の経歴
岩城慶太郎の経歴

 

要職を兼務されている様子がわかりますね。

創業家から次の経営者へ

そして2024年、ガバナンス強化の目的で創業家による経営から

次の世代へのバトンタッチということで代表が交代となりました。

岩城慶太郎さんは引き続き要職を幾つか兼務されるようですが、

会社は公器である、という観点からしっかりと次の世代へのバトンタッチも進んでいるようですね。

趣味はクラシック音楽と海釣り

岩城慶太郎さんの趣味はクラシック音楽と海釣りで、

移住先となった珠洲市でも手弁当で小さいながらもコンサートを開催し、

自らも楽器演奏を行い、指揮者となる等市民の方と一緒に楽しまれている程です。

 

もう一つの趣味である海釣りについては、能登半島の最先端である珠洲市と言うことで

日本海に面し、美味しいお魚が沢山取れる漁場と言うこともあり

東京にいるよりも更に楽しむことが出来そうですね。

アステナホールディングスはどんな会社?珠洲市に本社がある理由

ビルの写真

医薬品の開発・製造・販売

アステナグループの現在の主な事業は医薬品の開発・製造・販売で、

主力商品としてはネオヨジンうがい薬、タイガーバーム(輸入販売)、シルキーカバーオイルブロック

となっています。

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東証プライムに上場しており、2023年度の売上で約520億円、

従業員約1400人を抱える大企業となっています。

もともとは医薬品などの卸売業がメイン

アステナグループは岩城慶太郎のひいおじい様にあたる岩城市太郎さんが

1914年、薬屋問屋岩城市太郎商店として創業したのが始まりと言われています。

現在では医薬品の製造や開発等事業が多角化していますが、

商品を見てもわかるように皮膚に塗るクリーム・軟膏等に強みを出しており

皮膚のイワキと自認するほど軟膏商品が主力となっていました。

本社は東京都中央区と珠洲市

アステナHDの本社は東京都中央区にあり、2021年の4月に持株会社体制への移行と共に

本社機能の一部を石川県の珠洲市に移転、岩城慶太郎さんも6月に移住し、珠洲市から会社全体の指揮を執るという体制になっています。

珠洲市見附岩の写真

なぜ珠洲市?

東証プライムに上場しているような大企業が何故珠洲市に移転したのかというと

社長である岩城慶太郎さんが旅行で珠洲市を訪れた際に感じた2つのことが理由だそうです。

1つ目が、人が温かく東京では味わえないような体験をしたこと。

2つ目が、過疎地域だからこそビジネスとして宝の山が眠っていると言うこと。

何度も旅行で珠洲市を訪れた際、珠洲市の方から地元の特産品を頂いたり声をかけて頂くなど

温かいおもてなしを受けたこと、

そして過疎地域は言い換えれば30年進んだ日本の未来の姿と言うことで、

過疎地でビジネスの成功を収めることが出来れば、それが未来の日本にとってのスタンダードになりうる

と言う観点から新しいビジネスを始めるのにはピッタリであったことが挙げられるそうです。

「珠洲は日本でも一番ひどい過疎の場所の一つですけれども、おそらく見方を変えると30年進んだ場所。その30年進んだ場所でビジネスを起こすことができたら、そこで起こったビジネスは30年後には日本のデファクトスタンダード(事実上の標準)になっているだろうと思います。」
引用:NHK金沢放送局「移住社長の“恩返し”音楽祭上場企業社長が本気で移住・本社移転までしたワケ」

ダン

社会の課題解決×ロジカルシンキングから弾き出された考え…

実際に休耕地を活用したキノコの栽培や外国産ハーブを栽培し、収穫したものをお茶にしたり

地元の造り酒屋や農家と協力して珠洲市のお米を使ったお酒作りと言ったビジネスが少しずつ形になってきているようです。

「人口が少なくて調整しなくちゃいけないステークホルダー(利害関係者)が少なくて、すぐに物事ができるっていう場所は、田舎の方が都会よりもずっと、新規事業を起こすには向いているというふうに思ったんです。それを横展開して日本中に、できれば世界中に広げていくというのが我々のビジネスのコンセプトです。」
引用:NHK金沢放送局「移住社長の“恩返し”音楽祭上場企業社長が本気で移住・本社移転までしたワケ」

 

ダン

都心の豊富な資本や労働力に対し、意思決定の早さで対抗!地方創生のヒントは、岩城慶太郎氏の手腕にありそうですね。

 

また、北陸地方は古くから日本の薬の生産拠点としても有名なエリアの為

それらの地域と本業とのシナジー効果がこれから少しずつ形になってくるかもしれませんね。

能登半島地震の時 岩城慶太郎が起こしたアクション

2024年1月1日、日本中を驚かせた能登半島地震が発生。

岩城慶太郎氏は震災が発生した当時、お正月ということもあり東京にいと言います。

ダン

石川県知事の馳浩さんも東京にいました。年末年始やお盆に災害が起きた際に想定されるリスクですね。

 

くしくも馳浩氏と同様東京にとどまり被災地支援を開始します。

まず震災直後に行ったことはフェイスブック上にて携帯電話の番号を公開し、被災者からの情報収集。

 

家族と連絡がつかない

孤立しているから助けてほしい

 

といった情報がFacebookを通じて500件以上寄せられ、これらを吸い上げて

被災地である石川県にもリアルタイムで報告されたようです。

また「二次避難先」の情報を知人と協力しながらを得て、

被災者を受け入れてくれる金沢市内など近隣の宿泊施設の情報を集約し、ペライチという簡易HPを利用して掲載されました(現在は閲覧不可)

ダン

このタイミングでペライチを選ぶセンスはやはり本物です…HPを立ち上げる手間を最小限に省いて、必要な情報を可能な限りスピーディに集約し、被災された不特定多数の人に掲載する!というセンターピンが見えてないと出来ません。コンサルタント時代のスキルですねこれ…

アステナに入社される前から常に社会問題と対峙し、それを解決し続ける、という視座がなければ

間違いなく出来なかったことですし、

それがこのような未曽有の災害時に即断・即実行出来るのは日本広しと言えどほんの一握りです。

岩城慶太郎さんも今回の震災を教訓に、SNSの更なる有効活用のノウハウを蓄積されたことでしょう。

これからは地域創生が一つのカギになる

ここで一生を終えてもいいと断言する程珠洲市に魅力を感じ、移住をした岩城慶太郎さん。

現在はビジネスと言えば東京と言われる程の一極集中が起きていますが

コロナウイルスの感染拡大に伴いテレワークが普及し、働き方についても

新しい考え方、価値観が一気に醸成されてきました。

人材サービスのパソナも、東京の本社機能の一部を淡路島に移転し

首都圏で仕事をしていた従業員約1000人が淡路島に移住し、仕事をしながら生活しています。

 

コロナ以降のトレンドとして、岩城慶太郎氏のように都心から地方に移住し

地方からビジネスを盛り上げようとするエリートビジネスマンが増えてきているように思います。

スキーで有名な長野県白馬村のスキー場を盛り上げた東大OB、元官僚の和田寛さんもその一例でしょう。

 

地域に眠っているお宝を掘り起こし、観光資源やビジネスとして育て

東京等の大都市に地方ならではの魅力で対抗していき、地方を盛り上げていく。

そんなことが少子高齢化が進む、日本の地方の進むべき道なのかもしれませんね。

そして、年始早々岩城慶太郎氏が目の当たりにされた限界集落と言われる自治体での大規模な自然災害。

都心部でこれが発生した時、南海トラフが発生した時

各自治体はどのように情報収集をし、適切なアクションを起こすのか?

企業としてどう情報収集・集約し、従業員やその家族に発信していくのか?

 

沢山のお宝や魅力が珠洲市にはつまっていた反面、

自然災害と言う人間が抗うには限界のある事象が発生した際の対応方法についても

自治体や企業と連携しながらノウハウを蓄積し、少しでも減災に役立てて欲しいと

願わずにはいられません。

まとめ

最後までご覧いただきありがとうございました。

今回の記事のまとめ

岩城慶太郎さんは慶應義塾大学→アクセンチュアのエリート

ただ家業を継いだだけでなくビジネスマンとしても一流の腕前

早くから地方の魅力や課題に目を向け、移住してまで積極的に活動

明日(未来)に向け継続的(サステナブル)な成長、と言う思いから社名に至った

アステナHDと岩城慶太郎さんをこれからも応援します。

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