甲斐智美の引退理由は?深浦康市を破った剛腕

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甲斐智美の引退理由は?深浦康市を破った剛腕

先日日本将棋連盟から発表のあった衝撃的なニュース。

甲斐智美先生が2022年度での引退を発表されました。

大変好きな先生のお一人だっただけに、非常に残念な気持ちでいっぱいです。

今日は急遽という形になりますが、

引退される甲斐智美先生のことについてご紹介させて頂きます。

それではどうぞユックリとどうぞ。

目次

甲斐智美の引退理由は?いつ?

今年の一月に既に届けを出していた

甲斐智美先生は、昨年の10月頃に既に引退をされる意思を固められていたそうで

今年に入り日本将棋連盟にその意向を伝えていらっしゃったとのことです。

つまり思い付きだったわけではなくて、ずっと前から計画的に

考えていらっしゃった可能性が高いですね。

また、引退に当たって師匠の中原誠先生にもご報告はされたようですが

最後はご自身で決断されたようです。

報道によると、将棋の道ではなく新たな道に進まれるとのことでした。

また、引退理由については

病気等のマイナスな気持ちではなく、ポジティブな思いなようです。

将棋と言う世界で学ばれた経験を、他の分野でも

思う存分に活かして下さると信じています。

周囲には以前から話していた節も

甲斐智美先生はもしかしたらこのタイミングで、と言うのを

早い段階から人生設計の中で考えていらっしゃったのかもしれません。

同じく女流棋士で、渡辺明名人に特効?を持つ

竹部さゆり先生の呟きにもその旨が綴られていました。

他の女流棋士の先生たちの反応も様々です。

呟きを眺める限り、

本当に甲斐智美先生が女流棋士の先生方から慕われていたことがわかりますね。

甲斐智美先生の最終対局はいつ?

現在もマイナビ女子オープンでの挑戦者となっていますし女流名人挑戦者決定戦も控えておられます。

白玲戦でもA級に在籍いらっしゃいますが、

全ての対局日程が消化されるのが7月となっており

対局が全て終了した時点での引退が濃厚となっているようです。

最後は2023年7月、白玲戦で伊藤沙恵先生と対局し、敗れての引退となりました。

仮にタイトルを奪取したらどうなるの?

甲斐智美先生は大変実力のある棋士の先生でもあり

実際に過去タイトル保持のご経験もあります。

気になるのが、

里見香奈先生や西山朋佳先生からタイトルを奪取したらどうなるのか…

という話なのですが

現時点ですと、仮にタイトルを奪取した場合でも

翌年は保持者として登場する予定はない

現時点では、タイトルの奪取、失敗に関係なく引退

既定路線とのことです。

しかし、タイトルを保持したまま引退と言うのは

男性の棋士を含めても前例がなく、極めて異例な事態となります。

甲斐先生にはぜひとも有終の美を飾って頂きたかったのですが、

残念ながら有終の美とはなりませんでした。

甲斐智美の棋風・実績

ここからは甲斐智美先生の棋風やエピソード等について紹介します。

棋風 振り飛車党

甲斐先生の棋風は振り飛車党で、

主に四間に飛車を振る四間飛車が得意戦法となっています。

女流棋士の先生は振り飛車の先生が多く、甲斐智美先生も振り飛車党となりますね。

四間に振った後は、どちらかと言うと

力戦型の将棋に持ち込むことが多いように思います。

過去のインタビューでも、

無理に準備した局面に持ち込もうとはしないことを語っておられました。

定跡も勿論大切ですが、

どちらかというと目の前の見たことのない局面を

楽しまれるのが甲斐先生のようです。

甲斐智美先生のこれまでの実績

甲斐智美先生はこれまでにタイトルを7期獲得されている

女流棋士の中でも強豪です。

女王 一期

女流王位 四期

倉敷藤花 二期

甲斐智美先生のキャリアの中で代表的な対局が

2013年の王位戦予選にて、

地球代表、フカーラさんこと深浦康市先生を破った一局でしょう。

深浦先生はタイトル経験もある棋士の中でもトップクラスの先生です。

そのトップクラスの棋士を、女流棋士が破ったというのは

表現は悪いですが大金星となります。

そして、現在女流棋士最強の名高い里見香奈先生

タイトル戦で2度破った先生も甲斐智美先生が初めて。

今後西山朋佳先生がその記録に並ぶ可能性は考えられますが

隠れ里見キラーとしても名を馳せる甲斐先生でした。

甲斐智美のエピソード・女流棋士になるまで

ここからは甲斐智美先生のエピソードをご紹介いたします。

実はオシャレでエレガント!?

日傘に遮光手袋、好きな音楽はバッハ、

美術はフェルメール…

どっからどう見てもオシャレマダムですよね。

インタビューの中ではオーダー服を作る楽しさについて語られている甲斐先生。

化学繊維は着心地が悪いとのことで、天然素材しか使われないようです。

甲斐流オシャレにはキッチリと定跡があるんでしょうか…

引退の遠縁!?実は勝負事が苦手

もともと甲斐智美先生は、人と争いごとを好むような方ではなかったため

勝ち負けのハッキリする将棋があまり好きではなかったとのことでした。

しかし指していくうちにどんどんと将棋の魅力にハマっていき、

最終的には永世名人である中原誠先生の弟子となり、

女流棋士となった経緯があります。

将棋というゲームには勝ち負けという部分と芸術、アートに近い部分、そして学問に近い部分があるのですが

甲斐先生のお考えや言動を見る限りですと

将棋をかなりアーティスティックに捉えられていらっしゃるような気が致しますね。

また、過去のインタビューの中でも

将棋で勝たなければ

頑張らなければ

と自分に変なプレッシャーをかけてしまい、

花を美しいと思えるような余裕や、毎日を丁寧に生きる等の

の余裕がなかったことを語っておられました。

そのことがきっかけで、30代の時に一度将棋を離れて

心をリセットしてみたようです。

そのことにより将棋とちょうどよい距離感がつかめ

心が満たされながら、自然体で将棋を指すことが出来るようになったとのことです。

おそらく甲斐智美先生は、軍曹と呼ばれる闘争心の激しい永瀬拓矢先生のような

猛々しい将棋ではなく、楽しさを追及する気持ちで将棋に向き合う方が

あっていらっしゃったのでしょう。

甲斐智美先生、ほぼ間違いなくタイプ4ですよね…(笑)

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自分が何者かを知る旅に出る!?

過去のインタビューを調べていて一番衝撃的だったのが

自分が何者なのかを知りたい

 

と言うことを仰っていたことでした。

今生きている世界が、甲斐智美先生にとっては

突然連れて来られたような感覚があり、幼少期は

もとの所に帰りたいな…と思っていたそうです。

もとの所って一体何処なんでしょうか?

そして、人生を旅のようなものと表現され、自分が本当に知りたいのは

上記のそれ、自分は何者なのかだけだと語っていらっしゃいました。

将棋を引退されて歩まれる次の道は、もしかしたら

探していた自分が見つかるかもしれませんね。

いや、甲斐先生ならきっと見つけて下さることと思います。

生い立ちからプロになるまで

甲斐智美先生は1983年に石川県七尾市で生まれます。

その後すぐに家族にて神奈川県川崎市に引っ越され、

将棋観戦記者をされていたお父様から将棋を習いました。

そしてあの羽生善治先生が通われたことでも有名な八王子将棋倶楽部にて小学校5年生から腕を磨き

12歳の時に女流育成会に入り、中原誠十七世名人の弟子として13歳で女流棋士となりました。

また、プロ入りから1年後に奨励会に入会します。

厳しい環境に身を置く必要がある為とのことでしたが

当時は女流棋士と奨励会の兼務が出来ない為

女流棋士としての活動を休止しながら、奨励会員として

将棋の研鑽に励まれました。

甲斐智美先生がこのルール適用の第一号だったようです。

その後5年程在籍し、最高1級、退会時2級にて

再び女流棋士としての活動を始めていくこととなるのでした。

まとめ

甲斐智美先生の記事、如何でしたでしょうか。

実力者で、かつタイトル経験もあり経験豊富な

甲斐智美先生が引退されると聞き、まだ冷静になれていない

自分がいます。

それでも甲斐智美先生がこれまで女流棋士界にて残されてきた功績は

決して色あせることがありませんし、

引退されてからもきっと甲斐智美先生らしい、非常に

魅力的な人生を送って行かれることと思います。

ABEMAトーナメントやタイトル戦の聞き手として出るシーンが殆どなく

対局を専門にやられていらっしゃるような少しミステリアスな雰囲気を出されていましたが

そこが甲斐智美先生の魅力でもありましたね。

引退後の次のステージの活躍を願わずにいられません。

これからも甲斐智美先生を全力で応援致します。

ダン

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